「詭弁」

今回は宗門の「詭弁」について書いてみます。

宗門が最も触れられたくないことこそ、「御本仏の御遺命破壊に加担した事実」です。

宗門はその罪科を隠すために、そして「宗門は正しいのだ」と人々を騙すために、実に様々な「詭弁」を駆使します。

以下にその「詭弁」のパターンをいくつかご紹介します。

この手口が分かると、宗門の論法がよく理解できるかと思います。

まず、「詭弁」の定義について。「大辞林(第3版)」にはこうあります。

【詭弁】

① 間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論。道理にあわない弁論。

② 人をあざむくため故意に行われる、虚偽の推論。

さて、具体例をいくつか挙げてみましょう。

① 論点のすりかえ(相殺法)

「論点のすり替え」とは、本来、議論するべき問題やその答えを別の問題の議論にすり替えることです。

(例)「宗門は御遺命破壊に加担しただろ」→「いやいや、浅井会長は、正本堂建立御供養趣意書に同意して供養に参加したではないか。これは正本堂を御遺命の戒壇と承知していたからだ。いまさら何をいっているんだ」

こんな具合です。

詭弁の手法を知らないと、あわや相手の論点そらしに乗っかってしまいそうです。

この例えで用いた「正本堂建立御供養趣意書」のたばかりは、宗門・学会がよく使いますので、追って破折します(こちら)

② 人身攻撃

「人身攻撃」とは、ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、それを主張した人の個性や信念を攻撃したり、またそのような論法のことをいいます。

これも論点をすりかえる作用をもたらします。「人格攻撃論法」ともいわれています。

(例)「浅井会長はペテン師だ」「浅井会長の言っていることは自語相違している」

これも法華講員がよく使います。法義云々ではなく、浅井先生や幹部の悪口を言ったり、ウソを並べて信を無くさせようとするものです。

③ 藁人形論法

「藁人形論法」とは、対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、歪められた内容に基づいて反論する誤った論法です。あるいはその歪められた架空の意見そのものを指します。

語源は、仕立て上げられた架空の存在を「藁人形」に見立てたことからこの名が付いています。

(例)「『国立』で戒壇を建立したら、戒壇の大御本尊を国家の手に委ねることになり、もし将来、国の方針が変わったら大御本尊をお護りできなくなる。だから国立戒壇は絶対にあってはならない」

いったい何を言っているのでしょうか。浅井先生は次のように指導されています。

「国立戒壇といっても、何も国家の費用で建立し、これを国家が管理するなどというものではない。それはまさしく『勅宣並びに御教書を申し下して』との仰せのままに、『国家意志の表明』を必要手続きとして建立される戒壇だから『国立戒壇』と呼ばれてきたのである」(平成30年6月度総幹部会)

顕正会では全く言ってもいない「国家が管理する」などの前提を立て、それを破折してみせるのです。悪質です。

④ 悪魔の証明

「悪魔の証明」とは「無いことの証明」です。「あなたが先に『ない』ことを証明せよ。さもなくば『ある』のだ」と主張する詭弁のことです。

一般的な議論は、「ある側」が証拠を出すのが暗黙の決まりですが、無いことを証明させようとして話しを逸らしてしまうのです。

(例)「阿部日顕が相承を受けたという証拠を出してみよ」→「じゃあ、相承がなかったという証拠を出してみよ」

実際に相承がなかったことは優に証明できますが、小ずるい坊主はこうして話しをうやむやにしようとします。

⑤ 小児病型強弁

「小児病型強弁」とは、論理が破綻していても動じず、子どものワガママのごとく強弁を繰り返し、人の話をまったく聞かないことです。

宗門の輩が論に詰まり、ただひたすら自らの主張を強弁するような姿はこれに当たります。

以上のような「詭弁」を用いて、宗門は「御遺命破壊」の大罪から話を逸らすのです。

ご参考まで。