「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(10)

「国立戒壇は田中智学が云い出した」

阿部教学部長はいう

「国立戒壇の名称とその思想が初めてあらわれたのは、まさにこの智学の式目の中においてである」(悪書Ⅰ)と。そして顕正会の国立戒壇論を「田中智学の思想の模倣である」(悪書Ⅱ)として、口を極めて悪罵する。

国立戒壇を否定するには、もうこの論法以外に逃げ道はないのであろう。曽て細井管長は、日寛上人の報恩抄文段における「天生原に戒壇堂を建立するなり」を否定するため、不相伝家・要法寺の日辰が大石寺の義を盗んで「天生山戒壇説」を唱えていたことを理由に、「日寛上人は日辰の影響を受けている」などと僻論を述べたが、阿部教学部長の論法もこれと全く同じ手口である。

田中智学は邪流・身延派の僧、還俗して明治十三年に蓮華会、さらに大正三年に国柱会という団体を作った。その間、明治三十五年に「本化妙宗式目」、同四十三年に「日蓮聖人の教義」等の書を著わしているが、これらの書の中に「国立戒壇」の名称が出てくる。これを以て阿部教学部長は、顕正会が「模倣」したというのである。

反詰する。もし「模倣」というならば、同じく「国立戒壇」の名称をお使いになった本宗の歴代先師上人を、なぜ「田中の模倣」と非難しないのか。また学会の戸田会長そして曽ての池田大作をなぜ「模倣」と批判しないのか。

馬脚はここに露われている。阿部教学部長は、本宗が田中の模倣をしたのではなく、田中が本宗の正義を盗んで「国立戒壇」を唱えたことを、百も承知なのである。

さて田中は、釈尊本仏に執着して三大秘法も知らぬ身延派の徒である。この男がどうして「国立戒壇」を唱えるようになったかといえば、明治十五年に本宗と法論した「横浜問答」がその契機である。この問答で完敗した彼は行方をくらまし、その後もっぱら研究したのが富士大石寺の教義であった。かくて富士大石寺伝統の国立戒壇の正義を知り、これを盗んであたかも自身発明のごとく世に宣伝した。ただし、国立戒壇を模倣したものの、「戒壇の大御本尊」はない。そこで「佐渡始顕の本尊」なる偽本尊を立てたのである。

この経緯は学会でも知っている。ゆえに創価学会教学部編の「日蓮正宗創価学会批判を破す」に云く

「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そして、その場所も、富士山と明白に御指示になっている。また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近ごろは田中智学門流でさえも、囀っているではないか」と。

また大白蓮華誌には

田中智学は国立戒壇の建立が、宗祖大聖人窮局の御本懐であらせられることまでは知ることができたものの、さて戒壇の大御本尊は如何にとなると、何とか本尊を一定にする必要があると感じ、それには佐渡始顕が根本になるべきだと、独断したものである」(32年9月号)

「田中智学は、三大秘法抄の『霊山浄土に似たらん最勝の地』とは、正しく富士であると決定している。もし各宗派が三大秘法抄と富士戒壇を容認するならば、それは日蓮門下にとって、一つの進歩ともいえるであろう。しかし、所詮は田中智学のごとく、富士大石寺の本門戒壇の大御本尊を知らないために、邪義に陥っている」(同号)

国柱会の田中智学は、富士の正義をぬすみ、三大秘法抄によれば富士に本門戒壇を建立すべきだ、などと主張した」(35年6月号)と。

見よ、学会ですら〝田中智学が本宗の正義を盗んだ〟と云っているではないか。

また日淳上人も仰せられる。

田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である。ただ本尊段において佐渡始顕の本尊を立てをるのは、日蓮正宗に何とか対抗せんとの窮余の考えからである」(「興尊雪寃録」の妄説を破す)と。

阿部教学部長がこれらの事実を知らぬはずはない。しかるに学会が国立戒壇を放棄すればこれに迎合し、日蓮正宗の中でひとり御遺命正義を守り奉る顕正会を「浅井一派の国立戒壇論は……田中智学の思想の模倣であって、その酷似するところ驚くほかはない」などと誹謗をする。このような者を姦佞邪智というのである。

観心本尊抄に云く

「墓ないかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還って彼等が門家と成りぬ」と。

 「一念三千」はひとり天台大師の己証である。しかるに華厳宗と真言宗はこの一念三千の義を盗んで自宗の肝心とした。ところが智恵あさき天台宗の末流はこれを知らず、かえって一念三千の法門は華厳・真言にありと思いこみ、その門下になったという。

 いま思うに、国立戒壇はひとり日興上人に付嘱された御遺命、日蓮正宗だけの宿願である。しかるに田中智学この義を盗む。ところが日蓮正宗の全信徒は〝国立戒壇は田中の義なり〟として、かえってこれを捨てた。この由々しき僻事をなさしめたのは、実に阿部教学部長の誑惑である。この大罪、どうして現当に免れ得ようか。

以上、国立戒壇を否定し正本堂を正当化そうとする、深く巧みなる誑惑の根は、ここにすべて切断し畢った。