「細井日達の悪臨終についての反論」のウソ

細井日達の悪臨終が白日に晒された衝撃が宗門に走っているようです。それも、かなり強く。

法華講機関紙「大白法」に、「日達上人御臨終の相へのでっち上げ」と題するたばかりの文書が掲載されていることから、恐らくこれが宗門の公式見解のようです。

しかし必死に取り繕ってはいますが、虚偽で満ち満ちています。

以下、検証します。

まず、この文書の筆者はN組長の母親のことを
「得体の知れない縁戚」
「実在するかどうか判らない『縁戚』」
「怪しい『縁戚』」
等と、ことさらその信用性を貶めていますが、悪質な印象操作です。

この「大白法」文書には、N組長の母親による「証言の疑問点」として、次の4つを挙げています。

(1)わずか二日半の入院で、身内以外の者が三回も見舞いに行くことなど、到底あり得ない。

(2)仮に本当の縁戚であっても、「御相承の前日」などと述べることはあり得ない。一般信徒に先に公表されることなどない。

(3)御臨終に立ち会われたのは、日達上人令夫人とご子息、そして側近の方のみである。しかも「二時間にも及ぶ心臓マッサージ」など行われていない。

(4)御臨終の相について。お別れが行われた7月24日の密葬のときで、当時一千名を超す参列者がいて、お別れでその相を見た数百人が「生前と変わらない、すばらしい尊い相であった」と証言している。たった一人の怪しい「縁戚」との違いは決定的である。

と、こんな感じです。

では、一つひとつ見てみましょう。

(1)「わずか二日半の入院で三回も見舞うことはありえない」

この「大白法」の文書には「実際の御遷化時はどういう状況であったのか」として、こう記してあります。

「日達上人は七月十七日に福岡・妙流寺での御親修を終え、総本山にお戻りになられてから体調を崩され、御遷化三日前の十九日に入院あそばされた」

と、まるでこのとき突如体調を崩したように書いています。だから「わずか二日半の入院で三回も見舞うことはありえない」と。

この記述を読むと、何も知らない人は「確かにおかしいなぁ」と首を傾げることもあるかもしれません。

しかし、実際のところはどうだったのでしょうか。

宗門機関誌「大日蓮」(昭和54年9月号)から拾ってみます。

同号には、「日達上人猊下御密葬御通夜」における「椎名重役」のあいさつ(文末に画像あり)が掲載されており、このような記述があります。

「日達上人猊下には、(※)その以前よりお身体の不調を訴えられ、特に心臓機能の障害によって、しばしば御入院遊ばされ、治療に専念遊ばされておりました」と。

(他の2~3名の僧侶も同様に「しばしば入院していた」と記しています)

「(※)その以前より」とは、阿部日顕が細井日達から相承を受けたとされる「昭和53年4月15日」を指します。

「しばしば」の意味を辞書で引いてみましょう。

しば‐しば【×屡/×屡々】の意味

出典:デジタル大辞泉(小学館)
[副]同じ事が何度も重なって行われるさま。たびたび。

実は、細井日達は、急死する1年以上も前から、何度も入院していたのです。

ところが、今回の「大白法」の文書では、最後に入院した二日半のことだけを取り上げて「わずか二日半の入院で、お身内以外の者が三回もお見舞いに行くことなど、到底あり得ない」とN組長の証言がいかにも虚偽のような印象操作をするのです。

この記事を書いた僧侶が、細井日達が「しばしば入院していた」ことを知らぬ筈がありません。極めて悪質なたばかりです。

それまで富士宮市民病院の医師が主治医でしたが、昭和53年の春頃より東京の聖路加病院長の日野原重明博士が主治医となりました。

聖路加病院に入院して、日野原医師から治療だけでなく生活指導まで受けて、それを忠実に守った結果、日常生活の職務には支障がないほど回復し、その後も月に一回は聖路加病院に赴いていたのが実情です。

だから、しばしば入院している間にN組長の母親が見舞いに行ってもなんら不思議はないのです。

なんとも姑息なウソをつくものです。

(2)「仮に本当の縁戚であっても、「御相承の前日」などと述べることはあり得ない」

これは、なにも〝昭和54年当時、臨終前に相承の日を事前に知っていた〟ということを言っているのではなく、事後に「相承を行おうとしていた前日に死亡した」ことがわかったから、そのように述べたまでで、だからといってN組長がウソをついたことにはなりません。

(3)「御臨終に立ち会われたのは、日達上人令夫人とご子息、そして側近の方のみである。しかも『二時間にも及ぶ心臓マッサージ』など行われていない」

都合の悪いことは糊塗する宗門の言うことです。「二時間にも及ぶ心臓マッサージなど行われていない」と言われても、誰が信用できましょうか。

なにしろ1年以上もしばしば入院していたことを隠して、「わずか二日半の入院で、お身内以外の者が三回もお見舞いに行くことなど、到底あり得ない」などと平然と言ってのける人たちですから。

実際に、心臓マッサージを行ったことが記されたカルテなどの証拠が出てきたら「心臓マッサージを行ったのは2時間ではなく、1時間半だった。だから『二時間にも及ぶ心臓マッサージなど行われていない』と言ったのだ」などと言い出しかねません。

仮にもN組長の証言に対して「二時間にも及ぶ心臓マッサージなど行われていない」などと反論を試みるのであれば、その明確な根拠を示すべきです。それが出来ないのであれば、到底信じられる内容ではありません。

(4)「御臨終の相について。お別れが行われた7月24日の密葬のときで、当時一千名を超す参列者がいて、お別れでその相を見た数百人が『生前と変わらない、すばらしい尊い相であった』と証言している。たった一人の怪しい『縁戚』との違いは決定的である」

もし「お別れでその相を見た数百人が『生前と変わらない、すばらしい尊い相であった』と証言している」のであれば、その『数百人』分の証言を出せば済む話なのに、なぜそれを出さないのでしょうか。

仮に出しても、ありもしない話しを作り上げる可能性も否定できませんが。

また、「たった一人の怪しい『縁戚』との違いは決定的」などと、前述したようにレッテル貼りをして、その発言の信用性を貶めていますが、法華講に籍を置き、大石寺の宿坊に夫婦で勤務し、かつ細井日達の縁戚にあたるN組長の母親が、なぜ自分の息子にそのようなウソをつく必要があるのでしょうか。

葬儀に参列して、余りにも衝撃的なことだったゆえに、目にしたありのままを息子に話したのでしょう。

「なんとその相は、今までに見た事も無いほどドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかの様な相だった」

「一目見た瞬間あまりの恐ろしさに、親戚の背中に隠れてしまった」と。

宗門の虚言体質を思えば、細井日達の悪臨終を取り繕うことなど朝飯前です。

最後に一言。

宗門は「四十年近く経って細井日達の臨終を『悪臨終』『堕獄の相』などと口汚く罵る様は、人間としての品性を疑うものだ」と反駁していますが、一体何をいっているのでしょうか。

大聖人様は臨終の相を重んじられ、次のように仰せくださっておられます。

「されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)

「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、やわらかなる事兜羅綿の如し」(千日尼御前御返事)

さらには、中国における真言宗の元祖・善無畏三蔵が地獄に堕ちた証拠として、次のごとく記しておられます。

「善無畏三蔵は、乃至、死する時は『黒皮隠々として骨甚だ露わる』と申して、無間地獄の前相を其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり」(神国王御書)

大聖人様の御在世から数えて、実に四百年以上も前の善無畏三蔵の臨終の様を御書にとどめておられるのです。

成仏・不成仏が証拠として現れる臨終こそ、人生の最大事であることが宗門の禿人どもには全く分からないようです。

もう一度、記します。

「四十年近く経って細井日達の臨終を『悪臨終』『堕獄の相』などと口汚く罵る様は、人間としての品性を疑うものだ」

大聖人様の「神国王御書」の仰せに対しても同じことを言うのでしょうか。聞いてみたいものです。