建白書

冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞

総本山に激甚の被害を及ぼす可能性ある「富士川河口断層帯巨大地震」の切迫に鑑み、急ぎ完璧なる免震構造の新御宝蔵を建設し、以て近き広宣流布・国立戒壇建立のその日まで、本門戒壇の大御本尊を専ら秘蔵厳護し奉るべきの事。

右、重ねて強く要請する。

 「富士川河口断層帯」とは

富士川河口断層帯とは、駿河湾に注ぐ富士川河口より富士山西面を南北に走る、全長約四〇キロの断層帯で、安居山・大宮・芝川・入山瀬・入山の五断層より成り、このうち安居山断層が総本山の直近を走っております。

この富士川河口断層帯については、すでに政府の地震調査研究推進本部が平成二二年一〇月二〇日、従来の長期評価を改訂して「同断層帯は東海地震と連動する可能性がある」「地表で一〇メートル規模の段差が生ずる」「国内の主な活断層の中でも活動の可能性が高いグループに属している」等と発表しております。

さらに東海地震の権威といわれる石橋克彦・神戸大学名誉教授は平成二三年一〇月一三日、静岡市で開催された日本地震学会において 南海トラフ沿いで東海・東南海・南海地震が連動して発生した場合、陸域の富士川河口断層帯からその北につながる糸魚川―静岡構造線断層帯(糸静線断層帯)まで連動する超巨大地震になる可能性があることを発表した。その中で同名誉教授は、この超巨大地震のスケールについて、震源域は長さ約七〇〇キロ、地震規模は「M9台」、震度は震源域北端の長野県松本盆地付近でも「震度7」となる可能性を指摘しております。

その後、内閣府も平成二四年三月三一日、この南海トラフ沿いの三連動地震について「新想定」を発表しております。それによれば震源域は東は静岡県から西は日向灘に至る地域、地震規模は「M9・1」、震度は静岡県を含む一〇県を「震度7」としております。

この中で殊に注目すべきは、内閣府の「新想定」も前の石橋説と同じく、富士川河口断層帯がこの超巨大地震に連動する旨を指摘していることであります。

これらの所見を合わせ見るに――、近き将来発生する東海・東南海・南海の三連動地震は、3・11「東日本超巨大地震」を凌駕する、まさしく「西日本超々巨大地震」とも言うべきもので、このとき富士川河口断層帯も連動して「震度7」を現ずるのであります。

ちなみに「震度7」とは、気象庁所定の震度等級の最大で、もしそれ以上の揺れがあったとしてもすべて「震度7」と表記される。したがって「震度7」とは青空天井なのです。

そのうえ前記のごとく、富士川河口断層帯で発生する地震は「地表で一〇メートル規模の段差が生ずる」タイプであります。

 激烈の上下動が総本山を

もしこの大激震が総本山を襲ったら、戒壇の大御本尊まします奉安堂はどうなるでありましょうか――。

耐震性を重視して建てられている原子力発電所すら、「震度7」は想定しておりません。まして急拵え・安普請の奉安堂においておやです。

そもそも奉安堂なる建物は、御遺命違背の罰で宗門と学会が「修羅と悪竜の合戦」を演じた際、阿部日顕(御遺命違背のゆえ敢えて敬称を付けず)が、池田大作憎しのあまり偽戒壇・正本堂を打ち壊わし、その代替の御開扉用施設として急遽、建造したものである。

正本堂に負けじと同規模五千席の大空間を何とか作ったが、経費削減のためか、基礎部分は正本堂の土台をそのまま代用しているほどの急場しのぎの伽藍堂である。どうして超「震度7」の大激震に耐えられようか。

よし崩壊を免れたとしても、憂うべき最大事は、戒壇の大御本尊の御安危である。須弥壇上にまします大御本尊様に、下から突き上げる激烈なる上下動が及ぶは必至である。

思いここに至れば、その恐れ多さ、ただ五体凍りつくを覚えるのみである。この重大危機に思い至らぬは信心なき愚癡の輩、知ってなお平然たるは一闡提・逆路七逆の者というべきである。

されば、万事を差し置き急ぎ為すべきは、完璧なる免震構造の新御宝蔵を築くことであります。

幸いにも昨年二月、日本は世界に先駆けて「3次元免震システム」を開発しております。

このシステムは、東京大学が清水建設等と連携して完成したもので、従来の横揺れ対応だけでなく、直下型の縦揺れをも吸収し、「震度7」を「3」相当に軽減することがすでに実証されております。

これら最新技術を用い、一刻も早く戒壇の大御本尊の御安泰を図り給え。巨大地震は刻々と迫りつつある。これを思えば、誰人が安閑たり得ましょうか。

 正系門家の御遺命違背

それに付けても憂うべきは、いま日本に迫りつつある災難の根源が、まさに正系門家の御遺命違背にあるということである。

昨年、国内観測史上最大の東日本超巨大地震が発生して以来、日本はすでに大地動乱の時代に突入している。

そして今や、政府機関すら巨大地震の相次ぐ発生を警告し、中でも政府の中央防災会議は本年七月一九日、首都圏直下地震については「国家の存亡に関わる」と表現し、南海トラフ地震については「国難ともいえる巨大地震」との文言を以て、備えを急ぐよう全国自治体に警告を発している。

仏法の眼を以てこの未曽有の大地動乱を見れば、これこそ他国侵逼の前相、亡国の凶兆でなくて何であろうか。

すべてはこれ、仏法より事起こるのである。

すなわち、日本国は七百年前、日蓮大聖人の御頸を刎ね奉るの大逆罪を犯しながら今日まで背き続けている。加えて今、正系門家が「国立戒壇」を抛って大事の御遺命に背き奉ってしまった。

どうして諸天怒りをなさぬことがあろう。亡国の大罰が現われぬことがあろうか。

ここに小生は平成一六年四月、謹んで御聖意を拝しつつ「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の一書を著わし、その冒頭に「まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産・異常気象等の種々の災難が続発し、ついには亡国の大難たる他国侵逼が起こる。これ日蓮大聖人に背くゆえである」(取意)と記した。

そして七年後の昨年「3・11」が発生し、いよいよ巨大地震が連発する大地動乱の時代に突入したのであった。

ここに「日蓮大聖人に背く」の大罪について思うに、日本一同のそれはしばらく措く、正系門家の御遺命違背こそ日本国の命運にとって最も重大といわねばならない。

ゆえに大聖人は「法門申さるべき様の事」に、叡山に仮託して「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国我が朝をほろぼさんとす」と仰せ給う。

この御聖意に準じて案ずるに、いま日蓮大聖人の正系門家において御本仏の遺命滅せるかのゆえに、大中国、日本を亡ぼさんとしていること瞭然である。

日蓮正宗管長・早瀬日如上人には、御付嘱状に背くこの重大の違背に、怖畏を感ずることはなきか――。

されば富本殿御書には「智人は恐怖すべし、大乗を謗ずることを。故に天親菩薩は舌を切らんと云い、馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願い、吉蔵大師は身を肉橋と為す」と。

脱仏の大乗を謗じた罪さえ、後生を恐れる道念の智人はかくのごとく恐怖し懺悔したという。況や下種の御本仏が「我が門弟等此の状を守るべきなり」と厳誡し給うた、国立戒壇建立の御遺命に背く大罪においておやである。

 御遺命の戒壇とは「国立戒壇」

されば、すでに言い尽くしたことではあるが、改めて御遺命の大事と宗門の違背について、その大略を申し述べる。

日蓮大聖人御遺命の戒壇とはどのようなものかについて、これまで学会・宗門は曲会の限りを尽くしてきた。しかしその相貌は三大秘法抄・一期弘法抄に赫々明々で、異論をさしはさむ余地もない。

今その御聖意を謹んで約言し奉れば 広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇こそ、御遺命の戒壇であり、これを事の戒壇という。

されば第二六世・日寛上人は報恩抄文段に「事の戒壇とは、即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と仰せられ、その証として一期弘法付嘱書を引いておられる。

この「事の戒壇」が国立戒壇であることは、第五九世・日亨上人の「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)

また第六五世・日淳上人の「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知事の文に就いて)等の諸指南に明々白々である。

さらに第六四世・日昇上人は昭和三〇年、新御宝蔵たる「奉安殿」の落慶に臨み、次のごとく宣言されている。

「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり。…血脈付法の法主を継げる日昇、…今落慶の式を行い、此処に戒壇の本尊を永久に安置し奉るなり。『時を待つべきのみ、事の戒法とは之れなり』の金言を身に体して、必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す。願くば宗祖大聖尊の法魂、安穏に常住し給わんことを」と。

この凛呼たる宣言を拝すれば、二祖日興上人以来、正系門家・富士大石寺が「国立戒壇」を唯一の宿願として来たこと、また国立戒壇建立のその日まで、戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉ることを専一とされて来たこと、了々として明らかである。

さらに日昇上人は深き慮りを以て「必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す」と念言されている。

次の第六五世・日淳上人は「国立戒壇」堅持の英邁の正師であられた。ゆえに総本山の元旦勤行にこと寄せて「この元朝勤行とても…二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)と仰せられている。

悲しいかな、正系門家において国立戒壇の御遺命が堅持されたのは、この日淳上人までであった。

次は第六六世・細井日達。この人も登座直後は「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)と正論を述べていた。

だが、この六六世・細井日達と、次の六七世・阿部日顕によって、御本仏の御遺命は破壊されたのであった。

 細井日達の御遺命違背

広布前夜の正系門家を、第六天の魔王が壊乱せぬ道理はない。天魔は御本仏の御遺命成就を阻止せんと、まず政治野心に燃える池田大作の身に入った。池田は忽ちに「国立戒壇は選挙の妨げになる」との邪見を起こし、国立戒壇を否定するために偽戒壇・正本堂を建て、これを時の貫首に「御遺命の戒壇」と承認させようとした。

このような非常事態が未来に起こるを慮られ、二祖日興上人は「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」とご遺誡されている。

だが、細井日達は諂いの人。大聖人の御眼も恐れず、日興上人の御誡めも無視して、池田大作の意のままに正本堂を御遺命の戒壇と承認し、さらに「国立戒壇は本宗の教義ではない」(大日蓮・昭和50年9月号)と言い放ったのであった。このたばかりをなすに当って細井日達は、なんと「事の戒壇」の定義まで変更しているのである。

 阿部日顕の御遺命違背

次の阿部日顕はさらに諂曲の人。中国の天台僧・一行が、真言の善無畏にそそのかされて大日経の疏を造ったごとく、池田大作の意向のままに「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」なる二冊の悪書を著した。

彼はこの悪書において、三大秘法抄の聖文を切り刻んではその文意を一々に曲会し、あたかも正本堂が御遺命の戒壇に相当するごとくにたばかり、以て国立戒壇を否定したのであった。

だが、この卑劣をみるべし――。

彼は小生の平成十六年四月の諌暁書を読むや、その年の八月、総本山に全国の住職を集め、自身の二冊の悪書について次のごとく釈明をする。

「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論である」(大日蓮・平成16年12月号)と。

曽ては己れの栄達のために池田大作に諂って偽戒壇を賞讃した。だが正本堂が崩壊した今となっては二冊の悪書はどうしても破棄せねばならぬ。そこで正本堂の大罪をひとり池田になすりつけ、〝正本堂がなくなった今となっては、正本堂についての論義はすべて空論〟と嘯いて、小生の糺明を逃れんとしたのだ。

これあたかも、イカサマを咎められた博徒が、細工した賽子を打ち砕いて「賽子がない以上、すべて空論」とうそぶくに似ている。

このような卑劣漢なればこそ、「河辺メモ」における大謗法発言も、身延僧の大石寺招待も平然、そして御本仏一期の御遺命すら破壊し得たのである。

佐渡御言に云く「外道・悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし。師子身中の虫の師子を食む等云々」と。

細井日達・阿部日顕の二人こそ、貫首の身として内部から御遺命を破壊した者、まさしく師子身中の虫ではないか。

かかる時は、日興上人の「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」の御遺誡のまま、仏法を守護せねばならぬのである。

 大御本尊に対し奉る最大の冒涜行為

而して正本堂の誑惑において、戒壇の大御本尊に対し奉る最大の冒涜行為は、正本堂を御遺命の戒壇と見せかけるために、この偽戒壇に大御本尊を居え奉ったことである。

謹んで思うべし――。

国立戒壇に安置し奉るべしとて御本仏が留め置き給うた本門戒壇の大御本尊を、あろうことか、国立戒壇を否定するための偽戒壇に居えまいらせたのである。御本仏への師敵対、そして戒壇の大御本尊を辱め奉ること、これより甚だしきはない。

されば御本仏はこの大悪を許し給わず、顕正会をして諌暁せしめ、諸天をして宗門・学会を叛逆せしめ、ついに正本堂を打ち砕かせ給うたのである。

かくて、宗門・学会一体になって「末法万年の事の戒壇」と讃歎した正本堂は、わずか二六年で潰え去ったのであった。

もし阿部日顕に一分の道念だにあるならば、このとき、大御本尊の御前に五体投地の懺悔をし、速かに堅固なる宝蔵を築いて、来たるべき国立戒壇建立のその日まで秘蔵厳護を誓い奉るべきであるに、彼はなんと、即座に正本堂の跡地に、池田に負けじと同規模の「奉安堂」なる礼拝施設を作り、再び大御本尊を居え奉ったのである。

先には戒壇の大御本尊をたばかりに利用し、今度は御開扉料稼ぎ、すなわち営利のために大御本尊を利用し奉ったのである。

だが、学会去った後の宗門は、わずか数万の法華講員が残るのみ。したがって大規模な御開扉用施設は無用の長物となる。

ここに彼は法華講員を鞭打ち、登山を強要した。各末寺単位に登山員数を割当て、不足が生ずれば同一人を何回でも登山させ、なお足りなければ、御開扉料さえ出せば員数に加えるという「付け願い」の制度まで設けた。

この登山強要により、法華講員の間には驕恣の心・厭怠の思いが生じ、さらに怨嗟の声すら起きている。何と恐れ多いことではないか。

 御遺命に背き続ける宗門

さらに許しがたきは、阿部日顕がいまなお国立戒壇を否定し続けていることである。彼は、前記の平成一六年八月の全国教師講習会において、次のごとく言い放った。

「道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかったと思っております。ただ王法の解釈と、正本堂の建物についてのことでは書き過ぎがあった」と。

正本堂崩壊後六年を経て、なおこの悪言である。

そもそも正本堂は国立戒壇否定のための手段であった。その手段のたばかりが崩れ去った後は、改悔して国立戒壇の正義に還るべきであるのに、彼はなお国立戒壇だけは否定し続けているのだ。これこそ第六天の魔王その身に入るの、おぞましき姿ではないか。

深く思うべし――。

このように御遺命に背き続けている中で、不敬・冒涜の御開扉がいま強行されているのである。

この無慚無愧をごらんあそばせば、大聖人いかようにおぼしめされるか。諸天いかで怒りをなさざらんや。

昨年三月一五日に発生した、総本山付近を震源とする「震度6強」の未聞未見の烈震は、何を物語る。これ諸天の厳しき誡め以外にはない。

 結語

されば深き改悔を以て、速かに国立戒壇の御遺命を正系門家に蘇らせ、不敬冒涜の御開扉を停止し、早く完全免震の新御宝蔵を建設し、以て近き広宣流布・国立戒壇建立のその日まで、本門戒壇の大御本尊を秘蔵厳護せられんこと、衷心より願うものである。

申すも恐れ多し。

本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の出世の御本懐、文底深秘の大法の正体、唯授一人別付嘱の法体、一切衆生成仏の根源の種子であられる。

さればこの大御本尊の御安危こそ、一閻浮提第一の大事である。

もとより戒壇の大御本尊は金剛不壊の仏身にてまします。但し、あらゆる事態を想定してこれを守護し奉るは、仏弟子としての第一の責務である。

ゆえに、明治初年の神仏分離令に端を発した廃仏毀釈の狂瀾が大石寺に及ばんとした時、日霑上人・日胤上人は万一の災厄を憂えられ、密かに大御本尊を東京本郷の加賀邸土蔵に遷し奉り、その上さらに万万一の事態に備えて、重々の御配慮まであそばしておられる。これが大石寺歴代上人の護法の御心と小生は拝し奉る。

されば万事を差し置き、急ぎ堅固なる新御宝蔵を築き、以て近き広宣流布・国立戒壇建立のその日まで、本門戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉られんこと、血を吐く思いで要請するものである。

平成二四年八月一三日

         冨士大石寺顕正会
会長 淺井昭衞

日蓮正宗管長
早瀬日如上人
玉机下