御遺命破壊の言辞ならびに諛言(阿部日顕編)

次に阿部日顕(登座以前の信雄時代も含む)です。

「大聖人様は広宣流布の条件として、三大秘法抄に『有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時乃至時を待つ可きのみ』と予言されました。この御文は広宣流布の時、在家の中より身命がけで仏法を守る指導者が必ずお出になる事を示されたものと拝されます。その広宣流布の時とは、まさに今日、創価学会の出現により、又その大指導者たる会長池田先生が身をもって示される、法主上人猊下と宗門に対する不惜身命の御守護をもって、いよいよ、その時が到来した事をだんじてはばからぬものでございます」(昭和41年5月3日・学会本部総会)

宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」(教学部長 阿部信雄・昭和42年11月号・大日蓮)

「当然大石寺の正本堂が広宣流布の時に三秘抄、一期弘法抄の戒壇となる。……正本堂の規模の広大と、そのしかる所以である現在の流行の広布の相は明らかに一期弘法抄、三大秘法抄の戒壇としての意義に通ずる」(教学部長 阿部信雄・昭和47年3月26日・第一回正本堂建設委員会 猊下御言葉の要旨拝考――宗務院教学部)

「今日においては、もはや大聖人の時代におけるような勅宣はありえない。また、当然、御教書もない。したがって、現在もなお、こうした古い時代の形式に固執し、戒壇の本意を失うことがあるとすれば、それは誤りというべきである。
もし、これにあくまで固執するなら当然、憲法改定が必要になる。これは、まさに時代逆行であり、また宗門としてこれを主張することは、宗教の立場と政治の立場を混同することになる。宗教の立場は直接政治に容喙することでなく、宗教自体の徳化において政治その他を善導するにある。大聖人の御書もこの御こころに貫かれており、宗門の理想の達成が、直接の政治の場としての憲法改定を前提とせねばならないということは、まさしく大聖人の仏法の本意に背くものである」
「『最勝の地』とは、……現在、本門戒壇の大御本尊まします富士大石寺こそ、本門戒壇建立の地であることは明らかである」
「正本堂は現在直ちに一期弘法抄、三大秘法抄に仰せの戒壇ではないが、将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇となる建物で、それを今建てるのであると、日達上人が明鑑あそばされ、示されたのが此の度の訓諭であろう。
……もしいまだ建物建立の時も至らずと考え、三大秘法抄の前提条件も整わないとして、前もって戒壇を建てるのは『時を待つ可きのみ』の御制誠に背くという意見があるとすれば、それは不毛の論に過ぎない。時を待つ可きのみの文は、たんに建てるべからずという御制誡としてよりも、広布への大確信と共に時至るを待てとの御意であり、時至らば進んで建立にはげむべしという激励を言外に込められたものと拝される。
そして三大秘法抄の戒壇の文全体にたいし、今迄述べ来たった拝し方において当然いえることは、現在戒壇建立の意義をもつ建物を建てるべき時であるという事である。
否むしろ我々宗門僧俗の信心の熱情の表われとして、進んで全員一致し、事の戒壇を建立して広宣流布に邁進することこそ大切である。
したがってこれに反対し誹謗する者は、猊下に反し、また三大秘法抄の文意にも背くものとなる」(昭和47年6月12日・「国立戒壇論の誤りについて」)

「不世出の大指導者たる総講頭池田先生……世界広布の中心者である総講頭池田大作先生……我々日蓮正宗の僧俗は、先生の推進されておる偉大な妙法の革命的意義を心からたたえ、又ほこりに思うものでございます」(昭和49年・虫払会講演会)

「ここに猊下は、きわめて慎重な表現をとられつつも、御遺命の富士山本門寺と改称すべき時と、条件の大綱を、示され給うたのである。この時、現在の正本堂が、本門寺本堂となるであろうことは、昭和四十七年四月二十八日の訓諭と合せ拝するとき、まことに明らかであろう。御遺命の戒壇建立は、この時実現をみるというべきである
「猊下の御境地を測ることは、恐れ多いことであるが、なぜ現時において、広宣流布の暁に本門寺本堂となるべき正本堂を、前もって建立遊ばされることを決定されたかと思うに、一つは日蓮正宗の信徒が、一時に千数百万に達したことによると思われる」
「現時のごとく、正法が俄かに興隆して多くの民衆が妙法の功徳に霑うとき、まず本門寺の戒壇たるべき建物を建立し、次にまた更に広布が充実し、進展したとき、本門寺の戒壇たる意義名称が確定するという経過があっても御金言において一向に差支えないのである」(昭和49年12月・戒壇論後記)

戒壇の本尊のおわします所、直ちに事の戒壇であるから、昭和四十七年に建立の正本堂が現実の事の戒壇である。 この正本堂は、広宣流布達成への地歩が着実に展開されている現在の実相を鑑みるとき、一期弘法抄、三大秘法抄に仰せられる戒壇の意義を含むものといわねばならない」
「今や我が宗門は創価学会の前代未聞の大折伏により、八百万世帯の信徒数に達し、更にその信心と団結はいよいよ未来における教勢の発展を志向している。かかる正法の大興隆により、現実の平和憲法下における社会とどのような関係で戒壇堂が建立せらるべきかという課題が必然的に提起されるに至ったのである。
この事態に直面して御本仏日蓮大聖人の御精神を深く拝し奉り、我が正宗信徒僧俗一同によって正本堂を建立し、本門事の戒壇と拝し奉るのである。このように民衆による広宣流布の大業が着々と推進されることは大聖人の御意に合致することが明らかである」(昭和51年2月1日・「本門事の戒壇の本義」)

「勅宣・御教書の意味を考えれば、それは信教の自由の制度下における建立の手続き則ち建築許可証の意味となる」(本門事の戒壇の本義)

「浅井一派の国立戒壇論は、田中智学の思想の模倣である」(本門事の戒壇の本義)

「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」(昭和52年9月2日・学寮会談)

「この正本堂の建立は本門下種三宝の御威光を根幹とし、近代における先師日昇上人、日淳上人、更に当時の御当代日達上人の御高徳と、そして創価学会の初代牧口会長、二代戸田会長の後に続く、第三代池田会長の卓越した信心と正法護持の精神、及びその指導による会員信徒各位の不惜身命の大折伏のたまもの」(昭和57年10月12日・正本堂建立十周年記念総会)

「賞 大法護持広布並世界平和貢献之功」(昭和57年・池田大作への賞与本尊の脇書―正本堂十周年記念祝賀会)

「正本堂という名称は、未だ謗法の者が多きゆえに『本門寺』の名称こそ使用していないが、百六箇抄の『富士山本門寺本堂』を意味するものである」(昭和57年11月号・大日蓮)

「大御本尊を安置する広布の根本となる堂、すなわち正本堂こそ本門の戒壇であります」(昭和59年4月6日・虫払法要)

「正本堂は未曽有の広布進展の意義を含む本門事の戒壇なり」(平成2年10月13日・大石寺開創七百年法要慶讃文)