御遺命破壊の言辞(池田大作編)

御遺命破壊の言辞を拾ってみました。

ますは、池田大作の言辞です。

「かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります」(昭和40年3月・「正本堂建立御供養趣意書(宗門高僧も名を連ねる)」)

正本堂の建立は実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成を意義付けるもの」(昭和40年5月3日・学会総会)

本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」(昭和41年「立正安国論講義」)

「三大秘法抄にいわく『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』と。……この戒壇建立を、日蓮大聖人は『時を待つ可きのみ』とおおせられて、滅後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命は、いたずらに虚妄となるところでありました。だが『仏語は虚しからず』のご金言どおり、……七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります。……なお、正本堂完成により、三大秘法が、ここにいちおう成就したといえるのであり、『立正安国』の立正の二字が、完璧になるのであります」(昭和42年5月3日・学会総会)

本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」(昭和41年・立正安国論講義)

「詮ずる所、正本堂の完成をもって、三大秘法ここに成就し」(昭和42年10月・建立発願式)

夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年史上空前の偉業なり」(昭和42年10月12日・発誓願文)

「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。……昭和四十七年には、事の戒壇たる正本堂が建立される」(折伏教典)

「日蓮大聖人は本門の題目流布と、本門の本尊を建立され、本門事の戒壇の建立は日興上人をはじめ後世の弟子檀那にたくされた。……時来って日蓮大聖人大御本尊建立以来六百九十三年目にして、宗門においては第六十六世日達上人、創価学会においては第三代池田大作会長の時代に、本門の戒壇建立が実現せんとしている」(仏教哲学大辞典)

正本堂の建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり世界にいまだ曽てない大殿堂である」(同前)

「日蓮大聖人の『三大秘法抄』の御遺命にいわく「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」云々。この法華本門の戒壇たる正本堂の着工大法要」」(昭和43年・着工大法要)

本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」(昭和47年10月12日・正本堂落慶奉告大法要の後のメッセージ)

大聖人の御遺命である正本堂を建立しました。誰がしましたか、途中で。創価学会じゃないですか、私がやったんです」(昭和51年1月・学会本部元旦勤行)