「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(4)

3、三大秘法抄の曲会

次に、国立戒壇を否定するため、阿部教学部長がどのように三大秘法抄を曲会したかを見る。

「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」について

阿部教学部長はまず「王法」の語義を歪曲して

「そもそも王法という言葉が当時いかなる概念をあらわすものとして用いられたか。一つには公の儀礼(有職故実がその作法として知られる)を指す言葉として用いられたとする歴史学者の考証がある」(悪書Ⅰ)

などと、根拠のない見解を挙げたのち、御書に用いられた「王法」の意を

「政治をふくむあらゆる社会生活の原理」

と解釈している。「政治」は許されるが、それを含む「あらゆる社会生活の原理」とはいったい何か。これでは曖昧模糊としてつかまえどころがなくなる。これまでにも見たように、ごまかしの論法というものは、すべて同じパターンである。

「王法」の意は、第二章で述べたように「国家、国主、国主の威光勢力、統治主権、国家権力、政治」等である。これら国家およびその統治に関わる諸概念以外に「王法」の意は全くない。阿部教学部長が「王法」の意をあえて歪曲するのは、国立戒壇否定の底意があるからである。

では、御書における「王法」が、果して阿部教学部長のいう「あらゆる社会生活の原理」を意味するか、あるいは前述の「国家・国主」等を意味するかは、御書における用例を拝する以外にない。ことは重大であるから、繁をいとわず御書中の全用例を拝することにする。

「但だ殺父・殺母の罪のみありぬべし、しかれども王法のいましめきびしくあるゆへに、この罪をかしがたし」(顕謗法抄)

「叡山三千人は此の旨を辨えずして王法にもすてられ」(法門申さるべき様の事)

「国民たりし清盛入道、王法をかたぶけたてまつり」(同前)

「二人は王位を傾け奉り、国中を手に拳る、王法既に尽きぬ」(秋元御書)

「難なくして、王法の御帰依いみじくて法をひろめたる人も候」(転重軽受法門)

「当世の学者は畜生の如し、智者の弱きをあなづり、王法の邪をおそる」(佐渡御書)

「仏陀すでに仏法を王法に付し給う」(四条金吾殿御返事)

「たとひ深義を得たる論師・人師なりといふとも王法には勝ちがたきゆへ」(同前)

「家をいで、王法の宣旨をもそむいて山林にいたる」(開目抄)

「王法の栄へは山の悦び」(祈祷抄)

「漢土に於て高宗皇帝の時、北狄東京を領して今に一百五十余年、仏法・王法共に尽き了んぬ」(顕仏未来記)

「叡山に悪義出来して、終に王法尽きぬ」(曽谷入道殿御書)

「仏法の御力と申し、王法の威力と申し、彼は国主なり、三界の諸王守護し給う」(神国王御書)

「王法の力に大法を行い合せて」(同前)

「王法の曲るは小波小風のごとし、大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風大波の小船をやぶるがごとし、国のやぶるること疑いなし」(同前)

「いかなる人々も義朝・為朝なんど申すぞ、此れ則ち王法の重く、逆臣の罪のむくゐなり」(浄蓮房御書)

「王臣邪師を仰ぎ、萬民僻見に帰す。是くの如き諂曲既に久しく四百余年を経歴し、国漸く衰え、王法も亦尽きんとす」(強仁状御返事)

「天魔入り替って檀那をほろぼす仏像となりぬ、王法の尽きんとするこれなり」(清澄寺大衆中)

「謗法はあれども、あらわす人なければ王法もしばらくはたえず、国もをだやかなるににたり」(報恩抄)

「真言の大法をつくす事、明雲第一度、慈円第二度に、日本国の王法ほろび候い畢んぬ」(四条金吾殿御返事)

「日本の仏法唯一門なり、王法も二に非ず。法定まり、国清めり」(四信五品抄)

「然して後、仏法漸く廃れ、王法次第に衰え……已に亡国と成らんとす」(同前)

「先に王法を失いし真言、漸く関東に落ち下る」(下山御消息)

「棟梁たる法華経既に大日経の椽梠となりぬ、王法も下剋上して王位も臣下に随う」(同前)

「爾来三百余年、或は真言勝れ、法華勝れ、一同、なむど諍論事きれざりしかば、王法も左右なく尽きざりき」(頼基陳状)

「天照太神・正八幡の百王・百代の御誓いやぶれて、王法すでに尽きぬ」(同前)

「仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり」(四条金吾殿御返事)

「法道は面にかなやきをあてられき、此等は皆仏法を重んじ王法を恐れざりし故ぞかし」(妙法比丘尼御返事)

「夫れ仏法は王法の崇尊に依って威を増し、王法は仏法の擁護に依って長久す」(四十九院申状)

「是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ」(本尊問答抄)

「仏法のため王法のため、諸経の要文を集めて一巻の書を造る。仍って故最明寺入道殿に奉る、立正安国論と名けき」(同前)

「真言ひろまりて法華経のかしらとなれり、……この邪見増上して八十一乃至五の五王すでにうせぬ。仏法うせしかば王法すでにつき畢んぬ」(曽谷殿御返事)

「八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給いけるなり」(諫暁八幡抄)

「我が朝に代始まって人王八十余代の間、大山の皇子・大石の小丸を始と為て二十余人、王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし」(富木入道殿御返事)

「王法に背き奉り民の下知に随う者は、師子王が野狐に乗せられ東西南北に馳走するが如し」(同前)

「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」(三大秘法抄)

以上が、御書中の全用例三十八箇所である。この中で、一として「あらゆる社会生活の原理」などの意があったであろうか。ことごとく「国家・国主・国主の威光勢力・統治主権・国家権力・政治」等の意に用いておられること、瞭然ではないか。聖意に背く勝手な解釈を、曲会私情というのである。

次に「冥合」について、阿部教学部長は次のように云う。

「生命の奥深い所で合一するということで、仏法がそのまま生の形で王法にあらわれてくることではない。それは、仏法が仏法の使命に生き、王法がその理想実現に専心していくとき、結果として自然に冥合するということなのである。したがって今日、王仏冥合と政教分離とが抵触するものでないことは明白である。いずれにせよ、かかる冥合の文意において国立なる趣旨は全く見出し得ない」(悪書Ⅰ)と。

まことに涙ぐましい歪曲ぶりである。「王法仏法に冥じ……」の正意は、国家が日蓮大聖人の仏法を根本の指導原理として尊崇守護することである。だが、このように正しく解釈すれば憲法の政教分離の規定に抵触する。これを恐れて憲法に合わせて御聖意を曲げたのが、阿部教学部長の解釈でである。

いかにも無道心ではないか。宗務院は学会が白といえば白、黒といえば黒と追従するだけなのだ。曽て学会が「王仏冥合・国立戒壇のための選挙」と叫んでいた時には、宗門の機関誌は「王仏冥合の実現をめざして」と題する特集を組み

「国家を救う道は、邪宗邪義を倒して正法を立てる以外にはないのである。王仏冥合実現のために、参院選にのぞむ創価学会の政治家を、われわれ日蓮正宗の信徒はこぞって力を合わせ勝利へみちびきたい。……平和楽土の建設は、日蓮大聖人の大理想なのであり、その実現は、国立戒壇という王仏冥合の姿においてなされる」(大日蓮37年6月号)

と云ったものである。ところが学会が国立戒壇を捨てるや、たちまち「かかる冥合の文意において国立なる趣旨は全く見出し得ない」と豹変する。この無節操さ、恥ずかしいとは思わぬか。

しかし誑惑というものは、弘法の「面門俄かに開いて」の故事のように、必ず馬脚を露わすものである。

阿部教学部長は「仏法が仏法の使命に生き、王法がその理想実現に専心していくとき、結果として自然と冥合する」というごまかし解釈を正当化そうと、減劫御書を引いて次のように云った。

「減劫御書に『智者とは世間の法より外に仏法を行ず』との仰せがある。……したがって、智者というのは、世間の法よりほかに仏法を行じているのである。『世間の法より外に』ということは、世間の法は世間の法として行じ、その根底に仏法を行じているということである」と。

これはいったいどうしたことか。御書を読み違えて正反対の解釈をしているではないか。「世間の法より外に仏法を行ず」ではない、「世間の法より外に仏法を行わず」と読まなくてはいけない。御真蹟は「行す」とあって、送り仮名も濁点も省略されているから、どちらにも読める。しかし「行ず」と読んでは意が通じない。ゆえに大石寺発行の昭和新定版では送り仮名を入れて「行ハず」となっているのである。

この文意は、智者というのは世間の法以外には仏法を行じない、すなわち世間の法として行じていることが、そのまま仏法の道理に叶っているということである。

ゆえに次文に、太公望が暴虐なる殷の紂王の首を切って民の苦を抜き、張良が二世王を亡ぼして民に楽を与えた事例を挙げ

「此等は仏法已前なれども、教主釈尊の御使として民をたすけしなり。……彼等の人々の智慧は、内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」

と仰せられている。すなわち治世上の〝仏法の道理〟とは、安国論に示されるごとく「謗法の人を禁め」ることにある。仏法已前の「謗法の人」とは五常を破る者である。ゆえに災難対治抄には

「仏法已前の三皇五帝は五常を以て国を治む。夏の桀・殷の紂・周の幽等の礼儀を破りて国を喪ぼすは、遠く仏誓の持破に当れるなり」

とある。太公望・張良等が殷の紂・二世王を討ったのは、まさに「謗法の人を禁め」たことに当る。これが「智者とは世間の法より外に仏法を行わず」の事例なのである。

阿部教学部長が引いたこの御文は、まさに前文の

「しかれば代のをさまらん事は、大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有りて、仙豫国王のごとくなる賢王とよりあひて、……八宗の智人とをもうものを、或はせめ、或はながし、或は施をとどめ、或は頭をはねてこそ、代はすこしをさまるべきにて候へ」

の〝謗法禁断〟を釈せられているのである。どうしてこの前文を隠して後文だけ、しかも読み違えて引用するのか。

それにしても、誤読して正反対の意を述べるとは、いかにもお粗末ではないか。もし知らずに誤読したのなら無智、知ってやったのなら邪智といわざるを得ない。