「顕正会も正本堂に賛同した」のタバカリ(2)

浅井先生は、偽戒壇・正本堂が崩壊してもなお「国立戒壇」を強く怨嫉する阿部日顕に対して顕正会の命運を賭して事を一挙に決せんと、阿部日顕の三大謗法を挙げて重ねて公開対決を申し入れました。平成17年のことです。

ところが阿部日顕は、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班(以下、「邪義班」という)」名義で返書を重ねて送付し、浅井先生と顕正会を「謗法の徒・謗法団体」「大悪謗法の謀略に過ぎない」などと決めつけ「よって対決など受け入れるべき道理はない」と完全に逃避してしまいました。

そこで浅井先生は、改めて阿部日顕の三大謗法に止めを刺すべく「最後に申すべき事」をしたため阿部日顕に送付されたのです。

すると宗門は、対決を逃げたにもかかわらず、邪義班名義で虚偽と欺瞞と悪口雑言だけを並べた「自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書〝最後に申すべき事〟を砕破す(以下、「邪義班文書」という)」なる本を出し、精一杯の虚勢をはりました。

「文は人なり」と言いますが、虚偽と悪口に満ちたこの本に宗門の欺瞞性がよく顕れています。

実は、宗門はその悪書においても「顕正会も正本堂に賛同した」などと得意げに指摘していますが、彼らは「自爆」していることも分からないようです。

なぜなら、この詭弁は「正本堂は御遺命の戒壇」と、宗門が明確に認めていたことを大前提としているからです。

宗門は御遺命破壊の共犯であるにもかかわらず、「細井日達猊下は正本堂が御遺命の戒壇などとは一言も言ったことはない」と見えすいたウソをついたり、「池田大作の正本堂建立即御遺命の達成とする我見」などと池田大作一人に御遺命破壊の大罪を擦り付けていますが、一方で「邪義班文書」では正本堂建立御供養趣意書を挙げて「(細井日達から)かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である」との説法があったことを恥ずかしげなく主張してしまうのです。

宗門のご都合主義には反吐がでます。

少し脇道に逸れます。

そもそも「顕正会も正本堂の意義に賛同した」との論法は、未だ偽戒壇・正本堂が撤去される以前に、正本堂の誑惑を顕正会から責められる学会がそれをかわすためによく使っていたものなのです。

宗門の論法はおよそこの類のものばかりで、たとえば「国立戒壇は田中智学が言い出した」とか「戒壇の大御本尊まします処は何処何方でも事の戒壇(最近ではごまかしながらも修正しているようですが)」などもそうです。

これらは偽戒壇・正本堂を擁護するために編み出された論法に他なりません。

正本堂を御遺命の戒壇に位置づけたかった学会が考えた論法を、正本堂の誑惑が崩壊した今もそのまま使うから辻褄が合わなくなってくるのです。

話しを戻します。

くだんの邪義班文書の一節を引用します。

これは前回の記事に引用した浅井先生の「最後に申すべき事」(〝大御宝蔵〟〝大奉安殿〟の延長として、正本堂の供養に参加した)についての反論です。

「ならば、昭和四十年三月二十六日の「正本堂建立御供養趣意書」に、
『戒壇の大御本尊様が、いよいよ、奉安殿よりお出ましになって、正本堂に御安置されることを、正式におおせくだされたのであります。かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります』(大日蓮 昭和四十年五月号 一四頁)
と述べられていたことを、汝(浅井先生)は知らなかったとでもいうのか。そんな姑息な言い逃れは通用しない。汝は、この趣意書の内容に同意したからこそ、正本堂の御供養に参加したのである。この趣意書の『正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である』とは、汝のいう単なる〝大御宝蔵〟〝大奉安殿〟にとどまるものではなく、広布進展の事相が現実に顕れたことを示すことは明らかではないか。汝が正本堂の意義を当初から認識していなかったとする言は、たばかり以外の何物でもないことを告げておく」

分かりにくい部分もあるかと思いますが、要するに「細井日達が『正本堂建立は実質的な戒壇建立』『広宣流布の達成』と言った」と自白しているのです。

見事なまでの書きっぷりです。ここまで言い切っておきながら宗門は「学会を慰撫教導した」などと自己正当化するのです。この無道心・破廉恥には恐れ入るものです。

さらに、阿部教学部長の昭和42年の諛言(以下の※部分)を浅井先生に指摘されて、次のような苦しい釈明を述べていますが、ここでも墓穴を掘っています。

「また汝(浅井先生)は、昭和四十二年十月の正本堂建立発願式に際しての宗門僧侶の大日蓮への寄稿について、〝宗門高僧らも、先を争うようにこの大誑惑に双手を挙げて賛同した。彼らは、大聖人の御眼よりも、池田大作に睨まれるのを恐れていた。池田の寵(ちょう)を得て栄達することを願っていたのである〟などと侮言し、さらに日顕上人に対して〝その最右翼が、教学部長・阿部信雄であった。汝の正本堂発願式における諛言(ゆげん)を引こう。※『宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている』(大日蓮 昭和42年11月号)御遺命の事の戒壇が昭和四十七年に実現する、と言い切っているではないか。宗門の教学部長の発言であれば重大である〟と誹謗している。

しかし、日達上人の命を受けて教学部長を務められていた日顕上人の正本堂に関するご発言は、当時御仏意の上に広宣流布の時を御感遊ばされた日達上人の広布への前進を慰撫教導なされた御化導に基づくものであることはいうまでもない。すなわち、日顕上人のこの発言は、左(下)の昭和四十年九月の院達に基づいたものなのである。

『今回の正本堂建立は、宗門僧俗にとって此の上ない誠に重大な事業であります。すなわち、訓諭に仰せ遊ばされてあるように、本門戒壇の大本尊を奉安申上る清浄無比の大殿堂であり、このことは、大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於て成就されることなのであります』(院第九四四号・大日蓮昭和四十年十月号六頁)

この院達により宗門の広布前進への空気はいよいよ盛り上がった。その中において挙行された、正本堂建立発願式に参加された上からのご発言であり、複数の僧侶と共に述べられたものである。それは、当時の宗門の広布実現を目指しての大前進へのご配慮だったのである」

思わず言葉を失ってしまいます。

つまり、池田大作に諂った細井日達の言葉(正本堂=御遺命の戒壇)と「大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於て成就される」との院達により、宗門に偽りの御遺命成就の空気が盛り上がり、阿部教学部長ならびに他の高僧の発言も、それを助けるために池田大作に配慮したのだと言っているようなものです。

自爆していることを知ってか知らずか、御遺命破壊に加担したことをヌケヌケと言えてしまうところに、宗門の無道心・欺瞞性が如実に顕れています。