「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(5)

「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」について

阿部教学部長は云う

「この『王臣一同』ということであるが、現代では、民衆が王であるとともに臣である。ゆえに『民衆一同』と読むのが、今日では正しいのである」(悪書Ⅰ)と。

この曲会は、一期弘法付嘱書の「国主」を民衆と歪曲したのと同じ手口である。仏法と国家の関わりを否定して憲法の政教分離に抵触しないように文意を曲げれば、こういう解釈になるのであろう。

御書を拝してみよ。いたる所に国家の構成について「王・臣・万民」との仰せを拝する。例文を挙げる。

「悪鬼の入れる大僧等、時の王・臣・萬民を語らいて」(撰時抄)

「日本国の王・臣と並びに萬民等が」(同抄)

「王臣邪義を仰ぎ、萬民僻見に帰す」(強仁状御返事)

「王・臣・萬民みなしづみなん」(妙心尼御前御返事)

「末法の法華経の行者を軽賤する王・臣・萬民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)と。

これらの御文にある「萬民」が、阿部教学部長のお好きな「民衆」に当るのである。もし「民衆が王であるとともに臣である」ならば、国家の構成は民衆だけとなり、国家の体をなさなくなる。

では、大聖人は「王」についてどのように仰せられているか。

「王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎さまに立てたり。横の三の字は天・地・人なり、豎の一文字は王なり、須弥山と申す山の大地をつきとをして傾かざるが如し。天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」(内房女房御返事)と。

すなわち「王」とは、天地と人民を治める最高統治者なのである。政治学では国家成立の三大要素を「領土・人民・主権」と説明しているが、この主権こそ最高統治権力、仏法でいえば王法に当る。これを欠いては国家は成り立たないのである。

そして「臣」とは、最高統治者たる「王」を補佐して行政の衝に当る者である。

この「王」と「臣」は、たとえ名称・形態は変わるとも、古今東西、あらゆる国家にその存在が欠けることはない。ゆえに撰時抄には

「一閻浮提の内・八萬の国あり、其の国々に八萬の王あり、王々ごとに臣下並びに萬民までも」

として、「王臣」の存在が世界共通であることを示されている。しかるに「王臣」を「民衆」と解釈するのは、国家の本質を理解する能力に欠けているか諂曲の何れかである。阿部教学部長は恐らく後者であろう。

証拠を挙げよう。池田は昭和四十五年五月の学会総会でこう云っている。

「仏法でいう王とは、全民衆・全社会を包含した内容であり、もはや、国王を指すのでもなければ国家権力でもない。現代的にいえば、政治・教育・文化等、社会全般のことを指すと考えるべきでありましょう。主権在民の現代は、民衆が王であり、社会が王なのであります」(大白蓮華45年6月号)

阿部教学部長の解釈は、池田のこの誑惑に阿諛追従しているだけなのである。

正義を改めて示しておく。三大秘法抄における「王・臣」とは、王とは日本国の天皇、臣とは総理大臣以下各大臣である。すなわち「王法仏法に冥ずる」広宣流布の日には、全国民はもちろんのこと、国家の統治機関たる天皇も各大臣も一同に三大秘法を受持する、ということである。

「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」について

「有徳王・覚徳比丘」の故事は涅槃経に説かれている。――歓喜増益如来の末法において仏法まさに滅せんとする時、正法を堅持した一人の聖僧がいた。名を覚徳という。このとき生活のために出家した禿人(職業僧侶)も多勢いた。これら無道心の悪僧らは、覚徳比丘が正しく仏法を説くを聞いて利害の心より憎悪を生じ、殺害せんとした。この時の国王を有徳という。有徳王は覚徳比丘が危害を加えられんとするを聞き、護法のためにかけつけ、悪僧らと戦った。この王の奮戦により覚徳比丘はあやうく殺害を免がれたが、有徳王は全身に傷を負い、命終したという――。

この有徳王・覚徳比丘の故事は、正法まさに滅せんとする時、国主はかくのごとく正法を守護すべしということを示されたものである。

この有徳王・覚徳比丘の振舞いの中に、国家権力と仏法の関係そして在り方が、自ずと示されている。大聖人の仰せられる王仏冥合とは、政治権力が政権維持のために仏法を利用したり、僧侶が国家権力にへつらって自宗の繁栄を策したりすることではない。このような関係は王仏冥合ではなくて癒着である。

有徳王・覚徳比丘の振舞いを見よ。正法を説く覚徳比丘も不惜身命、覚徳比丘を守る有徳王も不惜身命、そこには微塵も利己がない。ともに法を惜しむ大道念あるのみである。
このような、仏法のためには身命も惜しまぬ護法の大道心が一国に満ち満ちた時、戒壇を建立せよと、大聖人は定め給うたのである。

この御文を、阿部教学部長は次のように解釈する。

「正しい仏法者とこれを守護する世俗の力、又はその指導者が顕われる時をいう」(悪書Ⅰ)

「仏法者」などと、学会ごのみの語を用いているのが気になるが、それはさておく。この解釈の云わんとしていることは、次の阿部教学部長の言葉ではっきりする。

「大聖人様は広宣流布の条件として、三大秘法抄に『有徳王・覚徳比丘の其のむかしを末法濁悪の未来に移さん時、乃至時を待つべきのみ』と予言されました。この御文は広宣流布の時、在家の中より身命がけで仏法を守る指導者が必ずお出になる事を示されたものと拝されます。その広宣流布の時とは、まさに今日、創価学会の出現により、又その大指導者たる会長池田先生が身を以て示される、法主上人猊下と宗門に対する不惜身命の御守護をもって、いよいよ、その時が到来した事を、断じてはばからぬものでございます」(大日蓮41年6月号)と。

つまり「有徳王」とは池田大作、「覚徳比丘」とは細井管長を指しているのである。阿部教学部長は「有徳王」を不徳王とまちがえたのではないか。いったい、総本山を経済封鎖する「有徳王」がどこにいよう。〝時の法主〟を大衆の面前で罵倒して十三億五千万円を巻き上げた「有徳王」がどこにいよう。また、学会にへつらって御本仏の御遺命を曲げる「覚徳比丘」がどこにいようか――。御金言を曲げるのもいい加減にせよといいたい。