第二章 「御遺命破壊」についての反論を破す
すべての犯罪に動機があることは、世法・仏法ともに同じである。
では、宗門教学部長の要職にあった汝が、なぜに御本仏の一期の御遺命を破壊せんとするほどの大罪を犯したのかといえば、それは名利である。宗門を牛耳る権力者・池田大作の寵を得れば、宗門の最高位にも登れると夢見たのであろう。
当時、選挙に狂奔する池田にとって、評論家たちの「学会が目的とする国立戒壇は、政教分離を規定した憲法に違反する」との批判はもっとも痛かった。ここに彼は国立戒壇を否定するのに「民衆立の戒壇・正本堂」という誑惑を思いついた。そして汝に「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」という二冊の悪書を書かせ、あたかも正本堂が御遺命の戒壇に当るかのごときたばかりをさせたのである。汝はもとより、大聖人の御遺命が国立戒壇であることはよくよく知っている。にもかかわらず、自身の栄達のため、この恐るべき大罪に与したのであった。
そして今、御遺命に背いた罰によって、汝と池田大作との間に自界叛逆ともいうべき仲間割れが生ずると、汝は卑怯にも一切の罪を池田に着せ、己れは被害者のような顔をして二冊の悪書の幕引きを図っている。
だがその中にも「国立戒壇」についてだけは、あくまでも否定を続けている。そしてさらに今、「国主立戒壇」なる新たなたばかりを言い出していることは、断じて許されない。
御遺命破壊についての汝の釈明・反論は支離滅裂、すべてがごまかしであるが、まず二冊の悪書についての釈明から破していこう。
一、「二冊の悪書」についての欺瞞
汝は二冊の悪書を書いた理由について、返書に
「当時、教学部長をしていたものだから、結局、日達上人の御指南を承りつつ、私が書くことになってしまった」(取意)
などとあたかも被害者のような顔をしているが、これは真っ赤な嘘。実は池田の特命を受け、チャンス到来とばかりにこの大悪事を引き受けたのである。
学会の内部文書「妙信講作戦」によれば、「国立戒壇論の誤りについて」を書く三ヶ月も前に、汝はすでに池田大作の下での対妙信講「教義論争」の担当となっていたではないか。その初仕事が、この悪書執筆だったのである。
また同じく「妙信講作戦」には、汝の担当がもう一つ「宗門対策」と記されている。これは、小生の諫暁に揺れ動く細井管長および妙信講を正しいとする宗門僧侶の動静を監視・報告することを任務としていた。
これら当時の状況を見れば、「日達上人の御指南を承りつつ」の何と白々しいことか。何より、悪書執筆に当って汝の指南役を務めたのは、細井管長ではなく、池田が差し向けた学会の弁護士・検事グループだったことが、これを雄弁に物語っている。
さらに汝は悪書執筆について、次のようにたばかる。
「日達上人は御本意としては、御遺命の戒壇は未来のことであり、正本堂は三大秘法抄の戒壇ではないと考えておられた。ゆえに昭和四十五年四月六日の虫払大法会における御説法があった。しかし日達上人は、僧俗一同が戒壇を建立せんとの願望をもって建てるのであり、僧俗一同を慰撫教導されるべく、正本堂の意義を御指南された。それが昭和四十七年四月二十八日の訓諭である。この日達上人の御意を体し、私は『国立戒壇論の誤りについて』を著した」(取意)と。
何もかも知りながら、細井管長の昭和四十五年四月六日の虫払法会における説法を、あたかも細井管長が自発的信念で本意を述べたごとく言うのは、いかにも狡猾である。この説法が、その三日前に小生が細井管長と対面した際の強き諫めによって実現したものであることは、汝こそよくよく知っているではないか。自発的な信念でなかったからこそ、池田に巻き返されれば、またすぐ元の誑惑に戻ってしまったのである。
見よ――。その十一日後の四月十七日には、池田に強要されたのであろうが、小生に対し電話で、次の事項に随うよう唐突に言って来た。
「①日蓮正宗を国教にする事はしない ②国立戒壇とは云わない、民衆立である ③正本堂を以て最終の事の戒壇とする ④今日はすでに広宣流布である、よって事の戒壇も立つのである」
これを小生にメモさせ「何としてもこれに随ってほしい」と、震える声で伝えて来られたのである。
以来、細井管長は、小生の諫めに値えば本心を取り戻し、池田に会えばまた誑惑に協力するという変節を繰り返したのであった。
そのような中で、池田の強き圧力と小生の諫めに挟まれながら、ついに池田に屈して出してしまったのが、あの正本堂の意義を定めた訓諭であった。
だから、虫払法会の説法を細井管長の信念にもとずく「御本意」のごとくいうのも、訓諭が「僧俗一同を慰撫教導するため」に出されたというのも、またこの意を体して汝が「国立戒壇論の誤りについて」を書いたというのも、すべては真っ赤な嘘である。
訓諭にいたる経緯
大事なことであるから、当時の事実経過を示しておく――。
細井管長が前述の四ヶ条を電話で伝えて来たとき、小生は、学会の圧力から猊座を守るには、学会を抑えて確認書を作らせる以外にはないと決意した。
その戦いの手始めが、細井管長の面前で学会代表と論判することであった。この論判は、早瀬日慈総監の斡旋で、昭和四十五年五月二十九日に実現した。学会代表は秋谷現会長ら三人。勝負が決したとき、細井管長は秋谷らに
「正本堂は三大秘法抄に御遺命された戒壇ではないのです。まだ広宣流布は達成されてません。どうか学会は訂正して下さい」
と頼むようにいわれた。これを聞いた秋谷らは、「今さら何を」という面持ちで、憤然として席を立った。
その後、小生は秋谷らに再三にわたって面談を求め、会うたびに理を以て追いつめては、執拗に「確認書」を求めた。
そしてついに昭和四十五年九月十一日、「正本堂を、三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命された戒壇とは言わない」旨の確認書を学会に作らせ、宗務役僧立ち合いのもとこれに署名させ、細井管長のもとに収めたのである。
この確認書により、学会のあらゆる書籍から誑惑の文言は一時に消えた。もちろん宗門からも消えた。汝が拙宅を訪れ、「妙信講のいうところ、大聖人の御意に叶えばこそ、宗門の大勢も変った。宗門がここまで立ち直れたのも、妙信講のおかげ……」等と神妙に挨拶したのも、この時であった。
これで、御遺命は辛じて守られた。もう正本堂の落成時に「御遺命の戒壇成就」ということはあり得ない、と小生は思った――。
だが、池田の執念は凄まじかった。正本堂の落成を前にして、細井管長に正本堂の意義を示す訓諭を出さしめたのである。その訓諭には
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
とあった。
これは、学会・宗門ともに先の「確認書」を意識していたゆえに、落成時の正本堂を直ちに御遺命の戒壇とは言わなかったものの、〝広布の暁には正本堂がそのまま「本門寺の戒壇」となる〟と定義したもの。つまり御遺命の戒壇となる建物を前もって建てておいたというものだった。
この訓諭により、正本堂以外に将来国立戒壇が建立されることは否定された。――これこそが、この訓諭に込められた池田大作の狙いであった。
しかし、広布以前に戒壇の建物を建てておくこと自体が、重大なる御遺命違背である。ゆえにこのたばかりを成功させるには、どうしても三大秘法抄の文意をねじ曲げなければならない。ここに池田はこの大役を、汝にやらせたのである。池田は汝の白を黒といいくるめる詭弁の特才と、諂いと、出世欲を見抜いていたのだ。
しかるにいま汝は二冊の悪書について
「当時、教学部長をしていたものだから、結局、日達上人の御指南を承りつつ、私が書くことになってしまった」
などと云う。いかにも見えすいているではないか。さらに
「当時においては慰撫教導の為のものであったが、時間が経過し、状況が変化した現在では、言い過ぎにも思える」
などとも言いわけしているが、もしこれが「慰撫教導」に当るなら、暴力団に便宜を与えた警察署長も慰撫教導となるではないか。また「言い過ぎ」などで済むことではない。まさしく二冊の悪書は、池田に阿諛追従して三大秘法抄の心を死し奉った大謗法の書なのである。
三大秘法抄の聖意を死す
では、どのように三大秘法抄の御心を死したか。具体的に挙げよう。汝は同抄の文々句々を切り刻んで次のごとく文意を曲げた。
「王法」は「政治をふくむあらゆる生活の原理」とし
「王臣一同」は「民衆一同」とし
「有徳王」は「池田先生」とし、「したがって現在も王仏冥合の時と云える」と云い
「勅宣・御教書」を「建築許可証」とし
「時を待つべきのみ」を「前もって建ててよい」
とたばかったのである。そしてこの曲会の結論として
「三大秘法抄の戒壇の文全体に対し、今迄述べ来たった拝し方において当然いえることは、現在戒壇建立の意義を持つ建物を建てるべき時であるという事である。(中略)これに反対し誹謗する者は、猊下に反し、また三大秘法抄の文意に背くものとなる」と言い切った。
大聖人御入滅後七百年、宗の内外を問わず、三大秘法抄の御聖意をここまで破壊した悪比丘は一人もない。まさしく正系門家における「師子身中の虫」とは、教学部長・阿部信雄その人であった。
「全くの空論」と嘯く
そして昨年、小生が著した「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」が大規模に配布されて宗門全僧俗の耳目にふれるや、黙っていられなくなった汝は八月の全国教師講習会で、二冊の悪書の言いわけをする。
「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論である」
これを見れば、「妙信講作戦」における「教義論争」の担当として書いたことが行間に現われているではないか。それにしても、いまになって責任のすべてを池田に転嫁しているのはまことに卑劣。また「今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども……正本堂がなくなった現在、全くの空論である」とは、何たる無道心、無責任の言であろうか。
御本仏を欺き奉った大罪、また数百万信徒をたぶらかしたこの罪禍は、世親・馬鳴のごとく、命をかけた懺悔なくしては永劫に消えない。
しかるに今回の返書では、この大謗法を責める小生に反論できぬ腹癒せか、かえって悪態をつく。
「これらの貴殿の長たらしい愚論は、まさに愚癡の論なのである。(中略)すでに消滅した正本堂について何を言っても、それは不毛の論である。いつまでも、うじうじと過去に執着する貴殿の愚痴の論に対し、宗門は何の痛痒も感じるものではない」と。
「何の痛痒も感じない」のは「酔えるが如く狂えるが如く」の無道心だからだ。後生を恐れぬ提婆が、阿鼻の炎に身を焼かれるまでは何の痛痒も感じなかったのと同じである。
そもそも正本堂は、国立戒壇を否定するために建てた誑惑の戒壇である。これが大聖人の御威徳によって崩壊した今、厳たる仏意を恐れて直ちに「国立戒壇」の正義に立ち返るべきなのに、汝は、国立戒壇についてだけは、なお頑強に誹謗を続けている。
この飽くなき固執こそ、天魔その身に入るの姿なのであろう。
二、「国立戒壇」に対する誹謗
まず汝の国立戒壇否定の執念を示そう。汝は昨年の教師講習会において
「道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかったと思っております。ただ王法の解釈と、正本堂の建物についてのことでは書き過ぎがあった」と述べた。
そして今回の返書では
「今日貴殿が主張する『国立戒壇』はどこまでも己義であり、邪義なのである」と言い
さらに小生が「御本仏一期の御遺命が広宣流布の暁に国家意志の表明を以て建立される『国立戒壇』であることは、三大秘法抄の金文に赫々、歴代上人の遺文に明々である」と述べたことに対して
「三大秘法抄の御文をもって『国立戒壇』の依拠とするなどは、まったくの己義我見の誑惑である」また
「未だ広宣流布達成のはるか以前に、l慢の凡夫の分際で、かつ謗法の一在家に過ぎぬ貴殿が、『国立戒壇』でなければならぬなどと、仏法の大事に口をさし挿むこと自体がおこがましい限りである」と悪態をついた。
小生が三大秘法抄の御意に基づき正義を述べたことが「おこがましい限り」なら、同じく「広宣流布達成のはるか以前」に、「勅宣・御教書」を建築許可証などとたばかった汝はどういうことになるのか。天に唾してはいけない。
およそ三大秘法抄は、広布前夜に魔障出来して本門戒壇について異議が生ずることを慮られ、敢えて留め置き給うた重書である。
そしていま聖慮のごとく、御遺命の戒壇について、門家に重大な異議が生じている。このとき、もし三大秘法抄の御聖意を拝して強盛に正義を立てなかったら、かえって御本仏に不忠となる。「おこがましい」どころか、聖意を立てて破法の悪人を呵責しなければ、仏弟子ではないのである。
(一) 「三大秘法抄」を拝し奉る
汝は「三大秘法抄の御文をもって『国立戒壇』の依拠とするなどは、まったくの己義我見の誑惑」と言ったが、果してそうか。
それは何よりも、三大秘法抄の御聖意を本として判じなければならぬ。二冊の悪書で曲会の限りを尽くした汝にはこれは忌しいことであろうが、すべからく御金言を本とすべきである。
三大秘法抄に云く
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ」と。
まず「王法」の意義を拝する。「王法」とは広義には国家、狭義には国家に具わる統治主権・国家権力、また人に約して国主・国主の威光勢力等を意味する。つまり、すべて国家統治にかかわる概念である。御書四百余篇における用例、ことごとくこの意であられる。汝のいう「あらゆる生活の原理」などの意は微塵もない。往いてこれを検べよ。
そしてこの「王法」に通・別がある。通じては時の統治権力・国主はいずれも王法である。
「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」(四条抄)
「当世の学者等は畜生の如し、智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる」(佐渡御書)
等がこれである。
しかし日本は三大秘法有縁の妙国であれば、仏法守護の本有の王法が久遠より存する。これが皇室であり、別しての「王法」である。
「日本国に代始まりてより已に謀叛の者二十六人、第一は大山の王子、第二は大山の山丸、乃至、第二十五人は頼朝、第二十六人は義時なり。二十四人は朝に責められ奉り獄門に首を懸けられ山野に骸を曝す。二人は王位を傾け奉り国中を手に拳る。王法既に尽きぬ」(秋元御書)と。
時の政治権力者であった頼朝・義時をなお謀叛の者とされ、皇室のみを別しての「王法」とされていること、御文に明らかである。
さらに大聖人の御遺命を奉じ給う日興上人は
「仏法と王法とは本源躰一なり、居処随って相離るべからざるか。乃至、尤も本門寺と王城と一所なるべき由、且つは往古の佳例なり、且つは日蓮大聖人の本願の所なり」(富士一跡門徒存知事)と。
この御指南を拝見すれば、別しての「王法」さらに王仏冥合の究極の事相は炳呼として明らかである。但し、無道心の汝にこれを論じても詮ないことであれば、いまは且くこれを置く。
では、謹んで本文を拝し奉る。
「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の三大秘法こそ唯一の衆生成仏の大法・国家安泰の秘法と認識決裁し、これを尊崇守護することである。
およそ国家・国政の目的は、国土の安全と国民の安寧にある。そしてこれを実現する秘法が仏法である。ここに王法と仏法が冥合すべき所以がある。ゆえにもし国家が日蓮大聖人の正法にめざめれば、この正法を国家の根本の指導原理、すなわち国教として用いることは当然である。ゆえに四十九院申状には
「夫れ仏法は王法の崇尊に依って威を増し、王法は仏法の擁護に依って長久す」
と仰せられるのである。
では、王法と仏法が冥合した時の、国家の具体的な姿相はどのようなものか。それを示されたのが次文の
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」
である。すなわち日本国本来の国主たる天皇も、国政の衝にある各大臣そして全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護するにおいては有徳王・覚徳比丘の故事のごとくの、身命をも惜しまぬという護法心が一国にみなぎった時――と仰せられる。
大聖人はかかる国家状況が、末法濁悪の未来日本国に必ず現出することをここに予言・断言され、かかる時を、戒壇建立の「時」と定め給うたのである。
しかるに汝は、未だこの「時」も到来しないのに、俄に建てた正本堂を御遺命の戒壇と偽り、池田大作を「有徳王」、細井管長を「覚徳比丘」などとたばかったのだ。恥ずかしくないか、恐ろしくないか。
さて、上述のごとき王仏冥合・王臣受持の「時」が到来しても、なお直ちに戒壇を建立することは許されない。ここに大聖人は、建立に当っての〝必要手続〟を厳重に定め給うておられる。それが
「勅宣並びに御教書を申し下して」である。「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては国会の議決、閣議決定等がそれに当る。すなわち「勅宣・御教書」とは、まさしく国家意志の公式表明なのである。
この手続こそ、日蓮大聖人が全人類に授与された「本門戒壇の大御本尊」を、日本国が国家の命運を賭しても守護し奉るとの意志表明であり、これは取りも直さず、日本国の王臣が「守護付嘱」に応え奉った姿でもある。
では、なぜ大聖人は「国家意志の公式表明」を戒壇建立の必要手続と定められたのであろうか。
謹んで聖意を案ずるに、戒壇建立の目的は偏えに仏国の実現にある。仏国の実現は、国家レベルでの三大秘法受持がなくては叶わない。その国家受持の具体的姿相こそ「王仏冥合」「王臣受持」の上になされる「勅宣・御教書」の発布なのである。
かくて国家意志の表明により建立された本門戒壇に、御本仏日蓮大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」が奉安されるとき、日本国の魂は即日蓮大聖人となる。御本仏を魂とする国は、まさしく仏国なのである。
しかるに汝は、この大事の「勅宣・御教書」を「建築許可証に過ぎない」と誑った。この罪科がどれほど重く深いか、心を沈めてこれを思え。
次に「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは、場所についての御指示である。ここには地名の特定が略されているが、日興上人への御付嘱状を拝見すれば「富士山」たることは言を俟たない。そして日興上人は広漠たる富士山麓の中には、南麓の「天生原」を戒壇建立の地と定めておられる。天生原は大石寺の東方四キロに位置する昿々たる勝地である。
ゆえに日興上人の「大石寺大坊棟札」には
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」
と記され、この相伝にもとずいて第二十六世・日寛上人は
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法 乃至 国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云々」(報恩抄文段)とお示し下されている。
「時を待つべきのみ」とは、広宣流布以前に建立することを堅く禁じた御制誡であり、同時に、広宣流布は大地を的として必ずや到来する、との御確信を示し給うたものである。
かくのごとく三大秘法抄の御聖意を正しく拝し奉れば、御遺命の戒壇とは、まさしく王仏冥合・王臣受持の時、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される「国立戒壇」であること、天日のごとく明らかではないか。
ゆえに歴代先師上人は異口同音に「国立戒壇」を熱称されて来たのである。
(二)歴代先師上人の文証
血脈付法の正師の御指南は重要であるから、煩を厭わず重ねてこれを示す。
第六十五世日淳上人は
「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる、その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)
第六十四世日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり。三大秘法抄に『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並に御教書を申し下して建立する所の戒壇なり』と。之れは是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四海に広宣流布の時こそ之の時なり」(奉安殿落成慶讃文)
日淳・日昇両上人ともに、三大秘法抄を以て「国立戒壇」の依拠とされていること、まことに明々である。また、たとえ本抄の引用を略すともその意は同じ。
されば日淳上人は
「この元朝勤行とても(中略)二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮 昭和34年1月号)
第五十九世日亨上人は
「宗祖・開山出世の大事たる政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華 11号)
「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)
さらに云く
「本門戒壇には、むろん本門の大曼荼羅を安置すべきことが当然であるので、未来勅建国立戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、大きく四尺七寸に大聖が書き残されたのが、いまの本門戒壇大御本尊である」(富士日興上人詳伝)
「本門戒壇大本尊。(中略)戒壇国立の時、安置すべき本尊にして、彫刻は日法上人なり。宗祖より開山日興上人に遺属せられし唯一の重宝、今宝蔵に安置す」(堀ノート・大石寺誌)
以上のごとく三大秘法抄および先師の御指南を拝すれば、まさしく「国立戒壇は三大秘法抄の金言に赫々、歴代上人の遺文に明々」といわねばならぬ。これを否定するのは、三大秘法抄の御聖意を蹂躙して死した、「阿部日顕」以外にはいないのである。
三、「国主立戒壇」の誑惑
正本堂が崩壊してもなお国立戒壇を否定する汝は、「では、いったい御遺命の戒壇とはどういうものか」と問われれば詰まる。そこで次のようにごまかしている。
「未来における広布の上からの『三大秘法抄』『一期弘法抄』の事の戒壇の目標と、その戒壇の建物というのはいったい、どういうものかと言うと、これは今、論ずるべきことではありません。それこそ本当に不毛の論であります。(中略)要するに、御遺命の戒壇は『一期弘法抄』の『本門寺の戒壇』ということであります。だから未来の戒壇については『御遺命の戒壇である』ということでよいと思うのです」(大日蓮 平成16・12月号)
「御遺命の戒壇とは御付嘱状の『本門寺の戒壇』である」では答えになってない。その「本門寺の戒壇」とは、いかなる時、いかなる手続で、どこに建てられるべきかを、明らかにしなければいけないのだ。
そのことは三大秘法抄に赫々明々ではないか。しかるに汝は、「今、論ずるべきことではない」「不毛の論である」という。なぜいま論ずべきことではないのか。これすなわち、三大秘法抄を曲会した罪人には〝今さら言えぬ〟ということなのであろう。
しかしそれでは「法主」の沽券にかかわる。そこで汝がおずおずと打ち出したのが、「国主立戒壇」である。
思いつきのまやかしだから、全く信念がない。
「御遺命の戒壇とは、すなわち本門寺の戒壇である。さらに本門寺の戒壇ということについて、浅井達は『国立戒壇』と言っているけれども、御遺命という上からの一つの考え方として『国主立戒壇』という呼称は、意義を論ずるときに、ある程度言ってもよいのではなかろうかと思うのです」(同前)
大事の御遺命を論ずるのに、「ある程度言ってもよいのではなかろうか」とは何事か。さらに自信なげに続ける。
「しかし、私は『国主立ということを言いなさい』と言っているわけではありません。ただ私は、国主立という言い方もできるのではなかろうかという意味で言っているだけで、正規に大聖人が我々に示され、命令された御戒壇は何かと言えば御遺命の戒壇、いわゆる本門寺の戒壇であります」(同前)
この確信のなさこそ、御遺命に背いた者の惨めな姿である。これでは、対決を逃げるのも無理はない。
「国」とは「国土・非情」か
しかし、何とか格好をつけねばならぬから、幼稚きわまる論を展開する。
「大聖人の御金言に照らせば、あくまで『国主此の法を立てらるれば』なのであり、『国主』つまり『人』が信仰の主体者なのである。『国』とは人が生活する『国土』であり、非情なものであるから『国』が信仰を受持することはあり得ない。信仰を受持するのは『国土』に生活する『国主』であり、言うならば『国主立戒壇』となるのである」(返書)
御付嘱状に「国主此の法を立てらるれば」とあるから「国主立」だという。また「国」とは国土で非情世間だから、「国」が信仰を受持することはあり得ないとして、国立戒壇を否定する。
では、反詰しよう。
まず「国」とは、果して非情の国土か。いま石綿禍が社会問題となって、新聞紙上には連日「国の不作為」「国が調査」「国を訴える」「国が救済」等の言葉が飛び交っているが、この「国」とは、果して非情国土の意か。ことごとく国家を指しているではないか。
仏法においても然り。御書を拝見すれば
「仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび人の寿も短かかるべし」(神国王御書)
「一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり」(蒙古使御書)
等と仰せられているが、この「国」が果して非情の国土か。
さらに立正安国論には
「国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば、乃至、先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし」
「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、乃至、国を失ひ家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」と。
まさしく「国」を即「国家」と仰せられているではないか。幼稚な論で国立戒壇を否定しては、世間の人にも笑われよう。
また汝は「国主此の法を立てらるれば」の御文を以て「国主立」と短絡しているが、これもごまかしである。
御付嘱状のこの御文は、実に三大秘法抄における「王仏冥合、王臣受持、勅宣・御教書」等、戒壇建立に関わる「時」および「手続」を、一言に要約し給うた金文である。すなわちご付嘱に際しての「以要言之」の鳳詔であられる。ゆえにその御意は三秘抄と全同である。
「国主立戒壇」は正本堂と同じ
しかるに汝は、まやかしの「国主立戒壇」を指して「一期弘法抄の御文のそのものずばり」と自讃する。ではその内容はどのようなものかといえば
「その内容を考えてみたとき、今は主権在民だから国主は国民としたならば、こういう主旨のことは日達上人も仰せになっているし、学会も国立戒壇に対する意味において色々と言ってはいたわけです。だから国主が国民であるならば、国民が総意において戒壇を建立するということになり、国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われることもありうるでしょう。ところが、国立戒壇ということにこだわるから、あくまで国が造るということになり、国が造るとなると直ちに国の法律に抵触するから、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。だから国主立、いわゆる人格的な意味において国民全体の総意で行うということであるならば、憲法はどうであろうと、みんながその気持ちをもって、あらゆる面からの協力によって造ればよいことになります。(中略)しかし、私は『国主立ということを言いなさい』と言っているわけではありません。ただ私は、国主立という言い方もできるのではなかろうかという意味で言っているだけで……」(大日蓮 平成16・12月号)
となんとも歯切れが悪い。全く確信がない、逃げ腰の説明である。
それもそのはず――。言わんとしている「国主立戒壇」とは、国家と無関係に建立することにおいて、全く正本堂と同じだからだ。池田はこれを「民衆立」と言い、汝はこれを国民総意の「国主立」と云ったが、ただの言い換えに過ぎない。そして共に現憲法を至上とし、違憲を恐れていることも通底している。
池田と仲間割れをした現在もなお、正本堂と同じたばかりを以て国立戒壇を抹殺せんとしているこの姿に、魔の執念を見る思いである。
ついでに言っておく。
汝は憲法改正をあたかも悪事のごとく忌避しているが、マッカーサーが占領政策の一環として日本に与えた憲法が、汝にはそれほど至上にして不磨の大典のごとくに見えるのか。いまや世間においてすら、日本国憲法はさまざまな矛盾を抱えているとして、改憲論者はすでに国民の過半に及んでいるではないか。
いわんや仏法の眼を以て見れば、未だ国家安泰の秘法の存在も王仏冥合の深意も知らない、蒙昧の中に生まれたのが現憲法であれば、やがて広宣流布した暁には、仏法に準じて憲法が改正されるのは、至極当然といわねばならない。
しかるに憲法に準じて仏法を曲げるとは、まさに靴に合わせて足指を切るに等しい。このような愚かさにいつまでも囚われているのは、定めて二冊の悪書執筆の際、学会の検事・弁護士グループに特訓を受けたトラウマのゆえか、天魔の其の身に入るのゆえか。
また汝は、改憲を忌避する理由の一つに、その困難さを挙げている。
「浅井に言わせれば、憲法を改正すればよいのだと言うのですが、現実問題として今日の日本乃至世界の実情を見るに、簡単に憲法を改正することはできない」(同前)と。
これは本末顛倒の論理である。困難なのは、憲法改正よりも広宣流布なのだ。もし一国が日蓮大聖人に帰依し奉る広宣流布が実現したら、憲法改正に誰人が異を唱えよう。まさに憲法改正などは、広布に付随して実現する事柄なのである。
「国主=国民」のたばかり
また「国主とは国民」というのも、たばかりだ。しかしこのたばかりは、すでに二冊の悪書で汝が述べた趣旨そのままであれば、まさに病膏肓ともいうべきである。
もし国民が国主であるとすれば、日本には一億二千万人の国主がいることになる。国主は一人でなければ、国家は成り立たない。
ゆえに報恩抄には
「国主は但一人なり、二人となれば国土をだやかならず」とある。
政治学では、国家を成立させる三要素として「領土と人民と主権」を挙げているが、この中の主権こそ、仏法にいう王法である。この主権とは、対外的には独立性を、国内的には国民および領土を支配する最高普遍の権力を意味する。そしてこれを人に約せば国主・国王・統治者・政治権力者となる。
ゆえに内房女房御返事には
「王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎さまに立てたり。横の三の字は天・地・人なり、豎の一文字は王なり。乃至、天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」と。
仰せの「天・地」とは領土に当り、「人」とは人民に当る。これを貫き支配するのが「王」すなわち主権である。ここに国家が成り立つ。このように国家というものの本質を見れば、国民はあくまでも被治者なのである。
では「主権在民」とはいかに、ということになるが、これは言葉が正確さを欠いているのであって、その本質は、民意を政治権力に反映し得る仕組みをいうに過ぎない。
ゆえに「国民を国主」と言うのは、未だ国家の本質を知らぬ無智のゆえか、あるいは為にする欺瞞である。
そこにいま、汝は国家と無関係に国民総意で建てる戒壇を「国主立」と称し、これなら「憲法改正も必要なし」と述べているが、ここにこそ、隠された重大な御遺命違背がある。
それは、「勅宣・御教書」の厳重の御定めを無視していることである。
繰り返し述べているように「勅宣・御教書」とは、日蓮大聖人の仏法を国家が守護し奉るとの、国家意志の公式表明である。
謹んで案ずるに、本門戒壇の建立とは、戒壇の大御本尊の妙用により、日本を仏国となすの一大秘術である。そしてこれを実現するには、一個人・一団体・一宗門、あるいは漠然たる国民の総意などによる建立では叶わない。実に国家受持がなくては叶わないのである。
ゆえにこの国家受持の具体的姿相を三大秘法抄に、「王仏冥合、王臣受持」と定めた上に「勅宣並びに御教書を申し下して」と仰せられているのである。まさしくこの「勅宣・御教書」すなわち国家意志の表明こそ、国家受持の決め手なのである。
およそ国家意志は、政治形態の如何に関わらず国家ある限り必ず存在する。さもなければ国家の統営はなし得ない。そして専制政治においては、国家意志は一人の国主によって決せられる。
ゆえに大聖人は、時の国主に正法護持の国家意志の表明を促し給うたのである。しかし鎌倉覇府はこれを用いなかった。
されば下山抄には
「国主の用い給わざらんに、其れ已下に法門申して何かせん。申したりとも国もたすかるまじ、人も又仏になるべしともおぼへず」
と仰せられている。この御聖意、深く拝すべきである。そして末法濁悪の未来日本国には、一国同帰とともに国家意志の表明が必ず実現するとして、ご予言・遺命あそばされたのが三大秘法抄である。
しかるに広宣流布近きを迎えた今、汝は「国民の総意で」といいながら、敢えて国家意志の表明という厳重の御定めを無視し背いている。これが大謗法の根源なのである。
よいか――。たとえ「国民の総意」というとも、そのような漠然たる状態では未だ「国家意志」は成立しない。国民の総意が国会の議決となり、閣議決定となり、天皇の詔勅となって表われてこそ、始めて国家意志は成立するのである。なぜこの「勅宣・御教書」を無視するのか。
もし天皇の国事行為は制限されているというなら、改憲すべきではないか。繰り返すが、広布の暁なら、これに異を唱える誰人がいようぞ。
しかるに汝は、池田と同じく現憲法を至上として、御本仏の御遺命を蔑っている。これこそ広布前夜、第六天の魔王が正系門家を壊乱している姿に他ならない。
日蓮大聖人の究竟の大願たる「国立戒壇」を否定するは、その罪まさに御本仏の御眼を抉るに当る。深くこれを恐れよ。