4、「事の戒壇」の定義変更による誑惑
事の戒壇とは、広布の暁に建てられる御遺命の戒壇である。しかるに池田大作はこの事の戒壇を「正本堂である」と偽った。そこで顕正会は「正本堂は事の戒壇ではない」と第一回諫暁書で破折した。すると細井管長と阿部教学部長は「戒壇の御本尊のまします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」と定義を変更して、だから「正本堂は事の戒壇といえる」と云い出した。
いかにも見えすいたたばかりであるが、破折しておく。この定義変更の欺瞞は二つある。
事の戒壇とは、広布の暁に建てられる御遺命の戒壇である。しかるに池田大作はこの事の戒壇を「正本堂である」と偽った。そこで顕正会は「正本堂は事の戒壇ではない」と第一回諫暁書で破折した。すると細井管長と阿部教学部長は「戒壇の御本尊のまします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」と定義を変更して、だから「正本堂は事の戒壇といえる」と云い出した。
いかにも見えすいたたばかりであるが、破折しておく。この定義変更の欺瞞は二つある。
本門戒壇建立の場所は、日本国の中には富士山、富士山の中には南麓の勝地・天生原と、日興上人以来歴代上人は伝承されている。
しかし大石寺の境内に建てた正本堂を御遺命の戒壇と偽るためには、どうしても「天生原」を否定しなければならない。そこで阿部教学部長は云う。
阿部教学部長は云う
「この『王臣一同』ということであるが、現代では、民衆が王であるとともに臣である。ゆえに『民衆一同』と読むのが、今日では正しいのである」(悪書Ⅰ)と。
この曲会は、一期弘法付嘱書の「国主」を民衆と歪曲したのと同じ手口である。仏法と国家の関わりを否定して憲法の政教分離に抵触しないように文意を曲げれば、こういう解釈になるのであろう。
国立戒壇を否定するには、一期弘法付嘱書の「国主」の意義を歪曲しなければならぬ。
そこで細井管長は、この「国主」について、世間儀典的と出世間内感的の二方面から考えられるとして、次のように云っている。
広宣流布以前に立てた正本堂を〝御遺命の戒壇〟というためには、広宣流布の定義を変えなくてはならぬ。そこでさまざまなたばかりが行われた。
現在、宗門では日蓮大聖人の御遺命たる「国立戒壇」を堂々と「日蓮正宗の教義ではない」と完全に否定しています。
ネット上では、宗門僧侶や法華講員らがその邪義をいたるところで振り撒いており、「国立戒壇」というキーワードで検索するとおびただしい数の「国立戒壇」を怨嫉する主張が出てきます。
山崎正友が学会を離反したのちに学会の様々な悪事を暴露した「盗聴教団」(晩声社・1980年12月)という本があります。
この山崎正友という男は、学会の副会長・顧問弁護士で学会の謀略を担当し、池田大作の数々の悪事を助けた懐刀でした。
後に造反して、懺悔の思いをこめてこれまでの悪事のすべてを暴きました。
そのなかでも、本書には、学会が宗門に御遺命を捨てさせた内情が生々しく記されています。
学会の圧力により、宗門が御遺命たる「国立戒壇」を抛ったことは明白です。
今回は宗門の「詭弁」について書いてみます。
宗門が最も触れられたくないことこそ、「御本仏の御遺命破壊に加担した事実」です。
宗門はその罪科を隠すために、そして「宗門は正しいのだ」と人々を騙すために、実に様々な「詭弁」を駆使します。
以下にその「詭弁」のパターンをいくつかご紹介します。
この手口が分かると、宗門の論法がよく理解できるかと思います。