「慰撫教導」というゴマカシ

前回に引用した池田大作・細井日達・阿部日顕の御遺命破壊の言辞を読むほどに、正本堂を御遺命の戒壇と位置づけようとする、主犯たる池田大作の御遺命違背は明らかです。

同時に、まるで犬が主に尾っぽを振るような、細井日達や阿部日顕ならびに宗門高僧の媚び諂いは浅ましい限りで、その醜さには憤りが込み上げます。

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日蓮大聖人の御遺命とは(2)

本門戒壇についての御教示

本門戒壇についての御教示は、佐渡以後の「法華行者値難事」「法華取要抄」「報恩抄」「教行証御書」等にその名目だけが挙げられているが、未だ本門戒壇の内容については全く明かされてない。そして御入滅の弘安五年にいたって、始めて三大秘法抄と一期弘法付嘱書に、これを明示し給うたのである。本門戒壇は広宣流布の時を待って建立される重大事であり、その実現には大難事が伴う。ゆえに富木殿御返事には
伝教大師 御本意の円宗を日本に弘めんとし、但定・慧は存生に之を弘め、円戒は死後に之を顕はす。事法たる故に一重の大難之有るか」と。伝教大師の迹門の戒壇ですら存生には成らず、滅後に建立されていることを例として、「事法たる故に一重の大難之有るか」と仰せられている。「事法たる故」の文意について第五九世・日亨上人は、「事法であるから、すなわち国立戒壇であるから容易な事でなかろうと、乃至、暗示せられたのである」(富士日興上人詳伝)と釈されている。

このゆえにただ御胸中に秘められ、御入滅の年にいたって始めてこれを明かし給うたのである。以て、本門戒壇の重大さを深く思うべきである。

 

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ブログ開設の趣旨

私は冨士大石寺顕正会の会員です。

宗門僧侶や法華講員の主張を見ていると、こう感じてなりません。

創価学会三代会長・池田大作の金力・権力に諂い、御本仏・日蓮大聖人の御遺命を破壊せんとしておきながら、浅井先生の諫暁と諸天の鉄槌により偽戒壇正本堂が打ち壊されたにもかかわらず、自らの大罪については全く改悔もなく、戒壇の大御本尊様を営利の具として「不敬の御開扉」を強行し、僧侶の身の長養をはかる無慚無愧は、何とも救い難い――と。

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