「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(1)

現在、宗門では日蓮大聖人の御遺命たる「国立戒壇」を堂々と「日蓮正宗の教義ではない」と完全に否定しています。

ネット上では、宗門僧侶や法華講員らがその邪義をいたるところで振り撒いており、「国立戒壇」というキーワードで検索するとおびただしい数の「国立戒壇」を怨嫉する主張が出てきます。

浅井先生は

「墓ないかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還って彼等が門家と成りぬ」(観心本尊抄)

との一節を引かれて、こう記しておられます。

「『一念三千』はひとり天台大師の己証である。しかるに華厳宗と真言宗はこの一念三千の義を盗んで自宗の肝心とした。

ところが智恵あさき天台宗の末流はこれを知らず、かえって一念三千の法門は華厳・真言にありと思いこみ、その門下になったという。

いま思うに、国立戒壇はひとり日興上人に付嘱された御遺命、日蓮正宗だけの宿願である。しかるに田中智学この義を盗む。

ところが日蓮正宗の全信徒は〝国立戒壇は田中の義なり〟として、かえってこれを捨てた。

この由々しき僻事をなさしめたのは、実に阿部教学部長の誑惑である。この大罪、どうして現当に免れ得ようか」と。

まさしく、御本仏一期の御遺命たる「国立戒壇」を「田中智学の義なり」と徹底否定し、広く邪義を蔓延させた宗門の罪の重さを思わずにはおれません。

浅井先生は平成2年に著された「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」において、阿部日顕が構えた巧妙な誑惑、国立戒壇への怨嫉を完膚なきまでに破折しておられますので、ここに引用いたします。

 

(2)1、広宣流布を偽る

「舎衛の三億」
「広宣流布は終着点のない流れ自体」
「法体の広宣流布が果実を結ぶ」
「因に約すれば広宣流布」
「いつが広宣流布かは法主上人がきめる」

(3)2、一期弘法付嘱書における「国主」の曲会

(4)3、三大秘法抄の曲会

「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」について

(5)「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」について

「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」について

(6)「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」について

「時を待つべきのみ」について

(7)4、「事の戒壇」の定義変更による誑惑

(8)5、その他の国立戒壇否定の僻論

「御書には国立戒壇の語はない」
「国教でないから国立戒壇はない」

(9)「世界宗教だから国立戒壇はない」

「大聖人の仏法の救済対象は国家ではない」

(10)「国立戒壇は田中智学が云い出した」

(11)6、正本堂の正体